情報武装講座~キャンパス・ライフ編


情報武装講座~キャンパスライフ編

<目次>

第1章 本を読む習慣をつけましょう。

第2章 旅をしましょう。

第3章 本物に触れましょう。

第4章 いろいろな人の話を聞きましょう。

第5章 いろいろなバイトを経験してみましょう。

第6章 ボランティアもたまにはいいものです。

第7章 サークルは成長の場

第8章 英語+αの外国語習得

第9章 山に登りましょう。

第10章 映画もいいですよ。

第11章 新聞は必ず取りましょう。

第12章 友達、先輩、後輩は貴重なものです。

第13章 「勉強」ではなく「学問」に触れましょう。

第14章 日記をつけ、詩を書いてみましょう。

第15章 単位は上手に取りましょう。

第16章 取れる資格は取っておきましょう。

第17章 大学以外の「場」も必要です。

第18章 「自立」の準備をしましょう。

第19章 「投資」「起業」の勉強もしてみるものです。

第20章 理想主義+現実主義




第1章 本を読む習慣をつけましょう。

「本は読むものではない、学ぶべきものだ。」(『タルムード』)

「人生とは1 冊の書物に似ている。愚者達はそれをパラパラとめくっていくが、賢者はそれを丹念に読む。」(ジャン=バウル『角笛と横笛』)

「良書とは、期待をもって開き、利益を取得して閉じる書物である。」(アモス=オルコット「卓談」)

「読書百篇、意自ずから通ず。」(『三国志』魏志)

「貧しき者は書に因(よ)って富み、富める者は書に因って貴(とうと)し。」(『古文真宝』)

 ほんのわずかな違いが、時間と共に莫大な違いを生むことがあります。その典型が「本を読む習慣の有無」でしょう。この「読書」の中には娯楽としてのマンガ、雑誌は含みません(教養としてなら含まれます)。普通、「自己投資には収入の5%くらいを使う」とされますが、これによればバイトで月10万円稼ぐ人なら、5,000円は自己投資(自分を高めるための出費)に当てるべきだということになります。これで英会話学校に通ったり、演劇や美術館を見に行ったり、映画を見たりしてもよいわけですが、最も手軽な自己投資が読書ということになります。成功者と呼ばれる人はたいてい継続的な読書の習慣を持っており、しかも「乱読」であることが多いものです。月1~2冊しか本を読まないというのは論外と言うべきでしょう。1週間に1冊、1日1冊のペースぐらいなら、その辺にごろごろいます。低い次元に合わせるべきではありません。アメリカの一流新聞社の書評担当記者ともなると、1カ月に100冊という人すらいます。

 仮に1週間に1冊のペースで読む人がいるとすると、1年間で50冊の本を読むことになります。これが10年続けば500冊、20年続けば1,000冊となりますが、1冊の本はさらに数十冊の本の内容を圧縮しているとも言えるので、実際にはその数十倍の本のエッセンスに触れていることになるのです。20歳前にこうした習慣を形成した人が40歳になるまでに到達しているレベルを考えると恐ろしい限りです。また、1日1冊のペースで読む人なら、この7倍の基準となるわけです。

 これは単なる「読書術」ではなく(「速読法」の本を「熟読」している、こっけいな光景もしばしば見受けられます)、「情報処理能力」を高めるという次元の話となってくるのです。ここまで来れば、「読書」は単なる「読書」ではなくなり、自由自在に「情報」を駆使するという段階に入るのです。



【ポイント】

図書館、古本屋を駆使する。

 図書館は1回に5~10冊、2週間程度しか借りることができないのが普通なので、大学の図書館に加えて、近隣の3~5の図書館をテリトリーとしましょう。特に中央図書館は拠点とすべきです。図書館はお金をかけずに資料調べができるので、初期段階では有効です。

 また、古本屋は神田・高田馬場を拠点とし、近隣の5~10軒くらいの古本屋をテリトリーとしましょう。最初はやみくもに新刊書を買うよりも、じっくりと目を肥やした方がいいものです。「100円、200円でこれほどの知識が得られるなら得だ!」と言えるような本にたくさん出会うことです。

いつもカバンに2~3冊、本を持ち歩きましょう。

 電車で移動する時間は本を読むか、英会話の勉強でもしたいところです。ただ、BGMを聞くだけというのはもったいない話です。「5分、10分といった半端な時間の活用」、これが後々、大きな差となるのです。カバンには常に2~3冊、できればジャンルの異なる本を入れて(気分転換を図るため)、ちょっとコーヒーを飲む時、一服する時、時間が余った時、すかさず「心豊かなひととき」にしてしまうのです。

トイレや車にも3~10冊くらい、本を置いておきましょう。

 移動時間以外の「半端時間」の典型がトイレです。できれば棚を作って、3~10冊くらいの本を置き、毎日、5分ずつでも読んでいきましょう。こういう「半端時間」を活用する人は、結果的に同時に4~5冊の本を読んでいることになるのです。車を持っている人は、車にも2~3冊置いておきましょう。できれば、カバン、トイレ、車のそれぞれにジャンルを決めて、「習慣」を確立するのも有効です。

年間100冊くらい、小学生でも読むものです。

 実は小学校高学年ともなると、読書競争が始まって、図書館からの貸し出しが年間100冊(大体3日に1冊のペースで本を読む)を超える生徒も出てきます。大学は高等教育の場であり、社会の知的情報インフラの1つですから、このレベルくらいは早く超えて欲しいものです。また、どんな未知の分野でも100冊の本を通読すれば、大体動向がつかめるのみならず、いわゆる「目利き」になれるでしょう。関心領域、必要分野においてはどんどん読み進めていきましょう。

通読、精読、速読、熟読を混同しないこと。

  読書で挫折する人は、何でもかんでも「精読」しようとする人です。「情報」は取捨選択し、必要に応じて「読み捨て」なければならないのです(実はこの訓練として使えるのは新聞です)。最初は基本的に「通読」し、その際に次に読む時のために印をつけておくことです。線を引くのでも、ポストイットを使うのでも構いません。2回目以降はこのチェック箇所しか読みません。そのための作業をしておくと思ったらよいでしょう。そして、途中で立ち止まって「理解」をするために「精読」をするのであり、この「精読」ができる人でなければ「速読」はできません。ある程度、知識が蓄積されてくれば、こうした読書法が確立されてくることでしょう。また、改めてじっくりと読み込み、考察を深めていく読み方が「熟読」となるのです。

目次、序文、解説をまず読んでから、本文へ。

 まず、外堀を埋め、足固めをしてから本丸へと行くわけですが、この外堀に当たるのが帯の抜粋部分、目次、序文、あとがき、解説、著者プロフィールなどです。こうした周辺情報で大体のあたりをつけた後、本文に入っていくものです。全体状況を押さえてから個別状況に入るというのが、問題本質理解の常道です。

まずは解説書から、興味を持ったら原文(訳文)、研究者は原典へ。

 どんなに有名な古典でも、いきなりかじりつくと消化不良になりかねません。まずは定評のある、すぐれた解説者の手ほどきを受けるべきです。これも外堀を埋める作業ですが、全体での位置づけ、その業績の意義や評価などを知ることから始めましょう。これでおぼろげながらも全体像をつかむことができますが、どんなに権威のある大家の言であるとしても、それをそのまま鵜呑みにしてはいけません。「実は全然分かっていない」というケースもままあるのです。従って、興味を覚えたら、訳文でもいいので、著者が書いた原文に直接当たってみましょう。全く別な結論に導かれることすらあるものです。もちろん、研究者は原典に当たらなければならないことは言うまでもありません。

引用文献、関連書物からネットワークを広げていく。

  「どの本を読めばいいか」というテーマは常に出てくるものですが、関心領域でこれはという本に出会ったら、そこに出てくる引用文献、関連書物に当たってみるのも一法です。そうしているうちに、その領域の概要がだんだんとつかめてきます。

本を探せる、見抜けることも能力の1つ。

 全てを知り尽くしているファウストみたいな人はどこにもいませんが、少なくとも「どうすれば資料を探せるか」ということを把握しておくべきですし、「この本、この内容は使える」と判断できる目を養っておくべきです。やみくもに数だけこなすように本を読んでいても、こうしたことが分からないのでは意味がありません。

信頼できる作者に出会ったら、作品を全部揃える。

  「この人が書いている内容は信頼が置ける」という人を何人持っているかが重要です。これは安心して引用したり、考えの根拠として使用できるということです。こういう作者に出会ったら、その人の作品を全部目を通してみることです。本当に使える人というのは、最低でも30~40冊以上の著作があり、確立された方法論と学際的な業績(単なる「専門バカ」ではないということです)を持っている人を指します。



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第2章 旅をしましょう。

He travels fastest who travels alone. (一人旅は早い。)

「世界は1冊の本にして、旅せざる人々は本を1ページしか読まざるなり。」(アウグスティヌス『告白録』)

「旅は真正な知識の偉大な源泉である。」(ベンジャミン=ディズレーリ)

  「旅と読書で自分を肥やしなさい」とはよく言われることです。人生は1回しかなく、自分が経験できることに限りがあることを思えば、読書を通して多くの人生に触れ、旅を通して生きた知識に触れることは重要でしょう。1人旅もいいですし、グループ旅行もおもしろいものです。てくてく歩く旅もよければ、サイクリングもいいですし、ヒッチハイクも刺激的です。山に登るのも、海で泳ぐのも、神社仏閣を訪ねてみるのも、それぞれ一興があるものです。

かつて、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学を卒業した学生は、「グランド・ツアー」と称してフランスやイタリアを旅行し、自らの学業の仕上げとしていました。ヨーロッパ大陸の先進文化や古典文化に直接触れ、精神を豊かにしていったのです。こうした伝統は、今もヨーロッパの一部に残っています。

 旅はまた、「自分への旅」「内省の旅」でもあります。時には孤独な時間を作り出して、心ゆくまで休んだり、のんびり本を読んだり、自分を見つめ直す時間を取る必要があるものです。少なくとも1年に1度はこうした「旅」に出て、リフレッシュしてみましょう。例えば、ユダヤ民族は少数民族にして、多大な迫害を受け続けてきたにもかかわらず、滅びるどころか、文化・科学・経済・金融などの各方面で莫大な影響を及ぼしてきました。その理由の1つに「安息日」の思想が挙げられます。彼らは1週間に1日、必ず休みを取り、トーラー(律法の書)を読んで、心の糧を得るという伝統を守り抜いてきたのです。



【ポイント】

まず日本国内を旅行してみましょう。

 西日本の人間は東北地方の県の順番が分からなかったりします。逆に東日本の人間は中国地方や九州の県の順番が分からなかったりするものです。狭い日本でありながら、意外に知らないことの方が多いのです。47都道府県の全てに足を運んでいる人も、実はそれほどいないのです。



<お勧めスポット>

◎北海道地方

オホーツク海の流氷(ここでしか見ることができません)

摩周湖(マリモや透明度で有名。周囲に阿寒湖・屈斜路湖もあり、雄大な大平原もあります)

アイヌ民族村(アイヌコタン。阿寒湖の近くにあり、北海道の先住民族・アイヌの文化を知ることができます)

函館ハリストス正教会(カトリックに並ぶギリシア正教・ロシア正教の教会で、明治期に第3教派の勢力であったことは意外に知られていません)


◎東北地方

宮沢賢治記念館(岩手県花巻市。「日本近代詩の父」と呼ばれる高村光太郎も宮沢賢治から多大な影響を受けたことが知られています)

出羽三山(山形県。羽黒山・月山・湯殿山。羽黒山には、「日本修験道の祖」である役行者も「修行未熟」のため追い返されたという「行者返しの地」があり、東北修験道の霊格の高さが窺えます)

山寺(山形県立石寺。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ所です)

多賀城跡(宮城県。古代東北経営の拠点となった地です)


◎関東・甲信越地方

明治神宮(宇佐神宮によく似た雰囲気を持つ所です。広々としています)

横浜中華街(日本のチャイナタウン。必見です)

富士山(日本人なら1度は登っておきましょう。平均4.5時間ペースですが、女性でも3時間を切る人はいます)


◎北陸・東海地方

伊勢神宮(近畿天皇家と結びつく不思議な伝統を持った神社です)

白山(北陸地方を代表する霊峰です)


◎近畿地方

鞍馬山(京都の北にあります。源義経が幼少期を過ごし、不思議な伝説も残っています)

金閣寺(夕方に行くと黄金がまばゆい、日本を代表する建築物です)

御所(6月の雨上がり、おぼろ月夜に都大路を歩いていると、平安時代にトリップします)

東大寺(奈良時代の国家的スケールを感じさせられます)

高野山(親鸞の墓や「大秦景教中国流行碑」のレプリカが置いてあるなど、不思議な霊域です)


◎中国・四国地方

出雲大社(古代出雲王朝の拠点にあります。縁結びの神様でもあります)

原爆慰霊碑(原爆ドーム・平和祈念公園の外に韓国・朝鮮人の原爆慰霊碑があります。訪れるべきです)

松下村塾(山口県萩市。27歳の吉田松蔭が行った、たった1年半の教育で国家有為の人材が多数輩出されたのは驚異的です)

室戸岬(弘法大師空海が法を成就した地とされます)


◎九州地方

大宰府(古代九州王朝の拠点です。菅原道真が祀ってあります)

宝満山(大宰府の背後にあります。雨上がりに登ると神秘的です)

阿蘇山(雄大なスケールを持つ火山で、中国の史書『隋書』にも出てきます)

知覧(特攻隊出撃の地です。若い命がここから飛び立って散っていきました)

桜島(宮崎から回って錦江湾に入る道路を車で走っていると、突然、真っ青な空と海の間にそびえる桜島が出てくるので、ついついアクセル全開となってしまいます)


◎沖縄地方

首里城跡(琉球王国の中心です)

ひめゆりの塔(「沖縄の悲劇」に対する鎮魂の塔です)

瀬底ビーチ・万座ビーチ(日本の中の南国です。)


「ならでは」のものに触れることです。

  「そこでしか得られない経験」というものがあります。学問の方法論でもフィールドワークは重視されますが、自分の足で歩き、自分の眼で見、自分の頭で考えることは大変重要です。机上の知識や人からの伝聞では得られないものに、旅先でふんだんに触れましょう。そのためには、事前の下調べを十分しておく必要があります。

「あったらいいもの」は「なくてもいいもの」です。

 これは旅行の基本原則です。ついつい荷物が増えてしまうので、持参するものは必要最小限に絞り、あとは現地調達するつもりで、身軽にすることです。海外出張を頻繁にしている、ある会社の社長はほとんど手荷物のみで出発し、下着類などは全部現地で買って、全て捨ててくるそうです。「これ、あったらいいだろうな、便利だろうな」と思われるものは、「別に無くてもいいもの」なのです。絶対に必要なもののみに絞り込むことがコツです。

海外旅行は東洋と西洋の両方に。

 できれば短期であれ、長期であれ、留学をしたいところですが、それがなかなか難しければ、せめて海外旅行くらいは何度か行きたいところです。ここで重要なのは「複眼的視野」「複眼思考」を持つことです。例えば、アメリカに行って世界的スケールに是非、触れたいところですが、それならばアジアにも足を運んで、韓国や中国で文化的親近性や反日感情などにも触れておきたいところです。国際会議などでディスカッションをすれば、日本の学生の政治・経済・軍事・歴史などに対する認識の低さ、見識の無さは一目瞭然ですが、例えば東京から飛行機でわずか2時間の所にも国際紛争最前線があることを実感していない学生がほとんどです。これは38度線を指していますが、ここは停戦ラインではなく、休戦ラインであるため、いつでも戦争が再発する可能性があります。したがって、38度線の前後2kmにわたる非軍事ゾーンに入る時には、「ここで何が起きても一切文句を言いません」というサインをしなければならないのです。また、東南アジアの国の中には旧日本軍の蛮行の跡をそのまま残し、「Forgive, but Don’t Forget!(許せ、しかし、忘れるな)」という看板を掲げているところもあるのです。

 留学はともかく、旅行であれば、5回、10回と回数を重ねることも容易でしょう。そして、現地の人々との交流がかけがえのない体験をもたらしてくれるのです。

大地に寝転がってみましょう。

 例えば、ワシントンの中央部。街の真ん中に真っ白いプールがあり、その周りの芝生にはリスがチョロチョロしています。チョコレートを差し出せば手のひらでコリコリ食べてくれるでしょう。その外側はやはり真っ白い造りの博物館・美術館で囲まれていて、タダで自由に出入りできます。のんびりとジョギングする人もたくさんいて、そこでゴロンと横になっていると、本当にここで世界の政治が動いているんだろうか、という気にもなります。

 あるいは、北京の天安門広場。昼間ならそこに面した紫禁城に足を運んで半日ぶらぶらすることでしょう。夜中になれば、人通りも少なくなるので、天安門広場にゴロンゴロンと寝転がることもできます。ここで民主化を叫ぶ学生達を戦車が踏みにじったのか、と感慨深くもなりますが、日によっては見回りの兵士に追い出されます。

海にも山にも地の底にも足を運んでみましょう。

 何も本格的なスキューバ・ダイビングやロック・クライミング、ケイビング(洞窟探検)をやる必要はありませんが、大自然の様々な諸相に触れるのは意義のあることです。危険は避けつつ、自然体験を豊かに持ちましょう。「自然は最高の教師」なのです。

車の免許を取っておきましょう。

 車は旅に不可欠です。自動車免許は取れる時にさっさと取っておきましょう。普通免許があれば、ワゴン車も運転できれば、4トン車すら運転できてしまうのです。これはやはり便利です。中型免許を持っている人であれば、やはりツーリングにチャレンジしたいところです。



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第3章 本物に触れましょう。

Good wine needs no bush.(良酒は看板を必要としない。)

Seeing is believing.(百聞は一見にしかず。)

Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration. (天才とは1パーセントの霊感と99パーセントの汗である~エジソン)

「桃李(とうり)もの言わざれども、下、自ずから蹊(みち)を成す。」

「我々は理性によってのみではなく、心によって真実を知る。」(パスカル『パンセ』)

  「本物」にたくさん触れ、そして「人物」に出会わなければなりません。時間を見つけて美術館や博物館で一流の作品に触れ、演奏会、文楽、演劇など、それまで見たことも触れたこともないようなものにどんどん触れていきましょう。一流の目を養うには一流のものに触れて、目を肥やすしかありません。一流のコックは必ず一流の味にたくさん触れて、舌に覚えこませているものです。

 生活必需品を「安かろう悪かろう」で節約して済ませる一方、「一点豪華主義」で何か1つはいいものにこだわるというライフスタイルもあります。いずれにせよ、時々は、あるいは何か1つぐらいはお金をかけて、「一流」「本物」とされるもので自分を磨いていく必要があるのです。

 また、例えば美術館などに行く時、1人では行かず、何人か連れ立って行くのもおもしろいものです。「この中で自分がイチオシの作品はどれか」と館内に散らばって、再び集まった時、それぞれがプレゼンテーションをするのです。自分とは違う、人の見方に教えられることが多いでしょう。

 ところで、マンガの世界で大分昔の話になりますが、『沈黙の艦隊』が登場して、各界に衝撃を与えました。これは当初、軍国主義の復活とか右傾化とかさんざん言われたものですが、詳細な軍事技術の描写から政軍分離の構想、さらには超国家サイレントサービスの実現から世界政府構想まで壮大に展開していき、「国家」「軍事」「核管理」「政界再編」「安全保障」「国連」「マス・メディア」といったテーマに恐るべき切り口を見せました。実際にその後、55年間続いた自民党の一党支配が崩れて政界再編が起きるなど、予言者的働きもありましたが、圧巻だったのは国際的な安全保障の枠組み作りを民間の保険会社にさせたことであり、保険の中心概念は「安全保障」にあるとして、その本質からの切り込みに関係者をあっと言わせました。

たかがマンガの世界と言われそうですが、こうしたいわゆる「本物」が少しずつながら確実に登場してきています。これはマンガの世界に限らないことであり、社会の端々で見受けられる現象です。「本物の時代」「本物志向」は間違いなく時代の潮流として存在しています。「本物」を見抜く目が必要であり、ひいては自分もまた「本物」とならなければならないのです。

実際、「本物」のみが歴史の中に残ります。ある女性キャスターが、日夜カラオケで歌う最新ポップスの練習に余念がない頃、たまたま何かのディナーショーに参加したところ、そこで1人の女性歌手が「ふるさと」を熱唱していて、それを聞いていた初老の男性が号泣しているのを見て衝撃を受けたといいます。こういう歌の存在に改めて気づかされたというのです。確かに今流行しているポップスのほとんどは20年後、30年後にはきれいに洗い流されているでしょうが、こうした「ふるさと」とか「大きな古時計」といった歌は、100年後でも誰かが歌っていることでしょう。もっと言えば、バッハやベートーベンは1000年後でも演奏され、誰もが耳を傾けることでしょう。「本物」のみが「人類の遺産」となり得るのです。



【ポイント】

研究室を訪ねてみましょう。

  大学と新聞は社会を代表する知的インフラです。特に大学には真理探究(学問の発展)・人材育成(教育の充実)・社会貢献(成果の伝達)という3つの機能が課せられており、その最大の資産は人的資本にあります。当たり外れももちろんありますが、著名な教授や助教授(一昔前なら著名な講師や助手という存在すらいました)を研究室に訪ね、質問をぶつけてみましょう。たいてい快く応じてくれるはずです。あるいはそこにいる上級生や院生にいろいろと教えてもらうのも有益です。大学に入って情報が増えてくれば選択が変わってくるのも当然であり、専攻や進路の変更もあり得ます。本やネットで情報を集める必要もありますが、直接、話を聞くのが最も「生きた情報」が入るものです。

OB・OG に会って話を聞いてみましょう。

  大学生には大学生というだけで特権があるようなものです。これを活用しない手はありません。どんな偉いOB・OGでも後輩というだけで簡単に会うことができます。単に就職活動という次元ではなく、あらゆる機会を利用して、有力OB・OGにコンタクトしましょう。直接的な引き立てなど期待する必要はありません。会うだけで財産となるのです。これが人脈にまで発展すれば言うことありませんが、そのためには自分自身も値打ちのある存在にならなければならず、それには時間がかかります。まずは気軽に会い、教えを請うことです。「教えてもらう立場」ならどんな人にも会いやすくなります。

道を究めた人の話は貴重です。

  一芸を究めた人は諸芸・万芸に通じます。その道だけでなく、あらゆる分野に通じる基本を体得しているものです。講演会やセミナーなどで関心がある分野のレクチャーがあれば、自己投資として参加してみましょう。もちろん、「専門バカ」のような存在もいますが、中には「マルチな才能を発揮する恐るべき人物」もいます。こういう人達は「本質」をつかんでいるのです。知識や経験は時と共に蓄積されていきますが、「本質」がつかんでいない人は「量的発展」にとどまり、「質的発展」は乏しくなりがちです。

留学生とも交流してみましょう。

 留学生には国費留学生と私費留学生の2種類がいますが、いずれにしても国に帰れば実業界・産業界・政界などで活躍が見込まれる人材がほとんどです(アジア・アフリカ圏からの留学生は特にそうでしょう)。いわば「国家的エリート」達なのです。彼等との交流は異文化コミュニケーションという点でも貴重ですが、国家的人物に触れるという点でも貴重です。留学生はよく「小さな外交官」と呼ばれ、その交流の中で一国を代弁する役割を持つと言われますが、まさにその通りです。

 中国人留学生に所へ行ってお茶をご馳走になることもあれば、イスラーム教徒の留学生の所へ肉まんを持って行って断られることもあるでしょう(イスラーム教では豚肉はタブー)。文化摩擦は起きて当然、彼等も友人を欲しがっていますから、肩肘張らずに自分の目線で付き合っていくことが大切です。



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第4章 いろいろな人の話を聞きましょう。

Better to ask the way than go astray. (道に迷うよりは道を尋ねる方がよい。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」)

「質問することは、学ぶことの第一歩である。」(『タルムード』)

「どんな人も他人の経験によって学びとるほど利口ではない。」(ヴォルテール)

「他人の災難から英知を習得する者は幸いなり。」(シルス『箴言』)

「神は人間に1つの舌と2つの耳とを賦与したのは、しゃべるよりも2倍多く聞くためなり。」(エピクテトス)

 『宮本武蔵』を書いた吉川英治は「われ以外皆師也」を座右の銘にしており、極真空手の創始者・大山倍達がそれから多大な影響を受けたことは有名な話です。どれほどの逆境でも必ず道を切り開こうと思えば、忍耐力・向上心・吸収力の3つ(これらは「逆境の哲学」に不可欠のものです)を持たなければなりませんが、そのうちの吸収力がこれに相当します。また、成功への最短距離は「成功者から学ぶ」から始まるとされますが、これは自分であれこれ考え、工夫するよりも、最初は素直に成功者の言に耳を傾け、その物真似から始めることの重要性を言っています。すぐれた文章の書き手もセンスのいいデザイナーも、皆、最初はうまい人の技術を盗むことから始めたのです。

 ここで重要なことは失敗者からは、「反面教師」として以外、決して学ばないことです。司法試験の受験勉強などでも、予備校などによくたむろする経験豊富な司法試験浪人の話に耳を傾けていてはいけないとされますし、セールスなどでも「失敗例」よりも「成功例」に学べ(例えば、車のセールスではトップセールスマンの営業でも140~150回に1回売れるとされます。あるトップセールスマンは車が売れなくて悩み、自殺まで考えたそうですが、この事実を知った時、早く149回「NO」を言われないかなと思えるようになり、トップセールスマンへの道が開けたと言います。「なぜ売れないのか」とくよくよ考えるより、それぐらいは「NO」をくらうのが当然なのですから、「なぜ売れたのか」に目を向けた方が建設的なのです)とされます。ただし、その一方で、「過去の成功体験が足を引っ張る」ということが多いのも事実です(ユニクロのケースやいわゆる「2年目のジンクス」もこれに当てはまります)。むしろ、数多くの失敗を経験し、それを克服しようともがく中から新たな開発が生まれ、「成功」に結びついていくわけです。したがって、他人の「成功体験」を研究し、自分の「失敗体験」を教訓にするのがベスト・ポジションと言えるかもしれません。

 ところで、欧米人は概して食事の場を非常に大切にしており、洗練されたマナーに加えてユーモアとウィットがあれば言うことなしですが(日本人には苦手な分野です)、この場が単に交流を温める場であるだけでなく、知的情報交換の場としても非常に貴重であることに注目しなければなりません。もちろん、ただ情報を受け取り、吸収するだけでなく、逆に情報を発信し、接触した相手にプラスを与える存在に自らがならなければなりませんが、こうしたコネクションを如何にゲットしていくか、日頃から関心を持ち、アンテナを張り巡らしておく必要があるでしょう。参考までに日本の地方大学を中退した後、イスラエルに渡ってヘブライ大学に留学後、ニューヨークのアメリカ・ユダヤ神学校で学び、日本人で初めてヘブライ文学博士号を取得した人のニューヨークでのひとコマを紹介してみましょう。場所は1970年代のラビ・ケルマン家におけるある金曜日の晩餐です(手島佑郎著『ユダヤ人はなぜ優秀か その特性とユダヤ教』より)。

ラビ・ケルマン(ユダヤ教保守中道派の総帥、ユダヤ教徒の宗教上の諸問題に対して最終的判断を下すラビニカル議会副総裁):昨日、ベギン首相の特使が来て、西岸入植地問題でイスラエルの立場をバックアップして欲しいと我々に頼んできた。

ジェイムズ・モートン(英国聖公会首席司祭、保守的な聖公会の中で常に革新路線を唱え、女性を聖公会司祭に叙任することに最初に踏み切った):それでどうしたんだ?

ラビ:丁重に断ったよ。入植地問題は微妙すぎて、我々アメリカ・ユダヤ人としては深入りできない性質の問題だ。

セイモア・スィゲル(大学教授、ユダヤ法・ユダヤ倫理学・ユダヤ神秘哲学の泰斗にして共和党の政治顧問。当時のニューヨークで最も影響力のある10人の1人に数えられている):我々はアメリカ市民、ベギンはイスラエル市民。我々は一般論としてしか入植地問題を云々できない。

モートン:しかし、それでベギンは納得したかね?

ラビ:納得はしないさ。その代わり、中東和平の維持の重要性についてアメリカ・ユダヤ人の関心をもっと喚起するように努力したいと答えた。

スィゲル:イスラエル・エジプト和平条約調印まで持ち込んだのは、確かにカーターの功績だ。彼の理想主義にサダトもベギンも感激したからなあ。カーターの宗教的情熱が一挙にサダトとベギンを口説き落とした。しかし、和平を維持するための実務経験が民主党には欠けている。ベトナム反対のシュプレヒコールを指導できても、休戦・撤退となると、民主党の手には負えない。この次は共和党の出番だよ。

エリエ・ヴィゼル(ポーランドの収容所生活を生き延び、ナチス・ドイツ下の数々の悲劇やユダヤ人虐殺を小説化して有名に。フランス語で考え、英語でものを言うとされる):どっちが政権を取っても、アメリカ人はアメリカ人だ。大して変わらないよ。

弁護士N:そんなことはない。共和党は地道だし、民主党は議論に明け暮れるし…。

医者S:セイモアは、不言実行型の共和党の方が、中東の政情安定化には力があると言いたいんだよ。アラブ人にしても、ユダヤ人にしても、理論より実質を取る民族だからね。ニクソンは内政面でウォーターゲートの汚点をつけたが、彼の外交手腕は大したものだった。

ラビ:ところで、ジム、君の方もエジプト政府から招待されているそうじゃないか?

モートン:ウン、近々、キリスト教の代表達と一緒にカイロに行く予定だ。君はサダトに会って、どんな印象を受けた?

ラビ:一口で言えば、アラブ人にしておくには惜しい男だ。あんな人物がユダヤ人であったらな、と思うぐらいだ。我々が彼を訪問したその朝に、彼の親友セバイ(エジプトの日刊紙「アル・アフラム」編集長)がキプロスでパレスチナ・ゲリラによって暗殺された。だが、そんな重大事件が発生しているにもかかわらず、彼は我々のために充分時間を割いてくれた。平和実現の暁には、シナイ山にユダヤ教・キリスト教・イスラム教の礼拝所を建てるつもりだ、と語っていた。

 彼はイスラエルで熱烈な歓迎にあったことがよほど嬉しかったらしい。何度も、「あの訪問は聖なる(セイクレッド)使命だった」と言っていた。それからイスラエル政府の反応がぐずだとこぼしていた。和平に向かってイスラエル政府がもっと速やかに対応しないと、反対派のリビア、シリア、イラクに時間を稼がせることになる…と。

スィゲル:イスラエルは民主主義国だから、意見をまとめるのに時間がかかる。サダトの注文通りのペースというわけにはいかない。

ラビ:その通りさ。サダトにしてもベギンにしても、大変だと思うよ。ちょうど仕立屋みたいなものだ。新しいあつらえ服を縫う一方で、古いくたびれたズボンの繕いもしなければならない。流行服のデザイナーや口の悪い批評家には、場末の仕立屋の苦労は分からない。中東和平という流行の陰で、2人は30年来の憎悪に満ちた古傷を繕う努力をしている。

ヴィゼル:サダトに何か約束したかね?

ラビ:直接には何もしていない。当面は、カイロ大学とアメリカのユダヤ研究機関との間で学術交流を盛んにするつもりだ。君なんか適任だよ…。

画商W:それにしても、サダトは大丈夫なのかな。アラブ圏で孤立して…。

スィゲル:それには秘密がある。エジプトはアラブ諸国に文明を輸出している。サウジ、クウェートをはじめ、エジプト人の技術者、事務管理者、教師のお陰で国家らしい骨組が出来ているのだ。この種のエジプト人の専門家がアラブ諸国には百数十万人いる。彼らが万一、他のアラブ諸国から引き揚げでもしたら、その日の内にどの国も機能停止だ。国交断絶だと口では言っても、現にどの国もエジプトとの領事事務は交換している。

 アラブにも建前と本音がある。外交問題は言葉に踊らされても、本音と実はつかんでおかなければいかん。エジプトはアラブ圏に文明を輸出し、我々ユダヤ人は世界に文化を供給する。イスラエル・エジプトの話し合いの共通点がここにある…。

 この食卓ではさらに話題が発展し、夜半に至っても尽きることを知らなかったと言います。その後の中東情勢の進展や現状を見ると、この会話のすごさが分かります。また、この場に名も無い一日本人留学生が同席していることも驚きですね。



【ポイント】

聞き上手になることです。

  コミュニケーションの基本は「聞くこと」です。どんなに人間関係が苦手な人でも、「この人から何か学んでみよう」というスタンスで、聞くことはできるものです。欧米では会話術は発達しており、高校などで食事の場での会話の運び方を訓練する所すらあるぐらいですが、「聞く立場」「教えてもらう立場」に立てば、たいていのコミュニケーションは何とかなります。実際、どんな人からでも何がしかは学べるものであり、それが分かってくると人間に対する関心が出てきます。

 要領のいい人は「人の頭で勉強する」ということすらやってのけます。ある本を読破しようと思えば、3日かかるところが、それを読んだ人に「何が書いてあるの」と聞けば、わずか3分でエッセンスをつかむこともできます。知らないことは、1から10まで分かっている人に聞けばいいわけです。こうした要領をつかんでいる人の1人に、『コスモス』で有名なカール・セーガンがいます。彼はディスカッションの名手であり、そうしたプロセスの中からあの膨大な知識を体系化したと言われています。

聞いた話は貴重な財産となります。

 実は「メモ魔」になることは重要です。相手の話をその場でメモし始めるとイヤな顔をされる場合がありますが、貴重な話は後でメモしておかないと必ず流れてしまいます。さらにこうした話をインプットするだけではなく、アウトプットする場を持つことがコツです。そうすると、「この話、使えるな」という観点で情報としての値打ちを判断できるようになるからです。



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第5章 いろいろなバイトを経験してみましょう。

Strike the iron while it is hot. (鉄は熱いうちに打て。)

「経験によってもたらされることは貴重な知識である。」(アスチャム『教師』)

「人間が賢くなるのは経験によるものではなく、経験に対処する能力に応じてである。」(バーナード=ショー『革命主義者のための格言』)

「経済は大半の人生をつくる術である。」(バーナード=ショー『革命主義者のための格言』)

 本格的に働くのは社会に出てからということになりますので、バイトをする場合は金儲けという以上に社会勉強という要素が強くなります。社会に出てから転職を頻繁に繰り返すのはデメリットもあり(アメリカでは20~30代には普通のことですし、また実力をつけた後にはあり得る話です)、在学中に自分をいろいろと試すのがよいでしょう。学生生活が勉強とサークル活動のみで終わったというのは寂しい話です(逆にバイトだけで終わったとしたら、もっと寂しい話ですが)。社会に出て行くための準備として、バイト体験は貴重なものなのです。経済観念、ビジネスの基本、対人接客のマナー、各種業界の知識など、吸収すべきものはたくさんあります。

 また、将来、目指している職種によっては、在学中にバイトからその仕事に入っていくことが不可欠な場合があります。例えば、医療スタッフの中で人気のある診療放射線技師などは、国家試験の合格率が低く、難しい試験でもあることから、学校で学んでいる段階から現場に出て、専門的知識や技術を習得する人がけっこういます。また、放送業界であれば、バイトで現場に入り込み、仕事を覚えつつ、人脈を広げて口コミとコネで卒業後の仕事につなげていくことは普通に行われています。

 いずれにせよ、多様な職業経験、豊富な職歴は早い時期であればあるほど、人間性を豊かにする点でプラスに働きやすいのです。



【ポイント】

肉体労働も頭脳労働もどちらも経験しましょう。

 なるべく多くの職種に挑戦しましょう。肉体労働で工事現場に出るもよし、展示会のセッティングや解体に携わるのもよし、市場で夜通し働くもよしです。頭脳労働で定番の家庭教師や塾講師もよし、事務や入力作業もよし、ネット・ビジネスに関わるのもよしです。1つの道に深く通じるスペシャリストになることも重要ですが、複数の分野にまたがるジェネラリストになることも武器になります。経済学の巨人ケインズも、一見スペシャリストの最たる例に思われる経済学者も、ジェネラリストでなければならないことを強調していました。直接体験した世界は机上の理論や書物が与える以上のものを教えてくれるでしょう。

苦手な分野、不得手なジャンルにも飛び込んでみましょう。

 ここで重要なことは、得意な分野を伸ばすだけだと、個性がいびつになることもあり得るということです。むしろ20代のうちは何事も経験と思って、苦手な分野、不得手な分野に積極的に飛び込むべきでしょう。40代になると不可能とされ、転職や根本的方向転換の最終リミットは30代とされます。人間関係が苦手な人なら対人関係を避けるのではなく、逆に一定期間、接客業で1から鍛えられる方がその後のためです。体力仕事が苦手な人なら、何ヶ月かデパートで売り子をするだけでも訓練になります。

 自分自身の成長のためには、得意分野を伸ばすこと不得意分野を克服することという2つの道があるのですが、若い時期であればあるほど後者に力を入れ、30代を過ぎてくれば前者にシフトしていくのが理想です。「金儲けの神様」と称される邱永漢は、「20代の時の仕事は一生の仕事にはならない」とも言っています。ハーバード大学を中退し、若くしてマイクロソフト社を立ち上げ、世界を席捲したビル・ゲイツのようなケースはむしろ例外的と言えるかもしれません。

失敗が問題なのではなく、責任を取ることが重要。

 ベンチャー・ビジネスは資本主義社会の発展のカギを握るとされますが、そのベンチャーの本質は「トライアル・アンド・エラー(試行錯誤)」にあります。とんでもない失敗をして精神的に追い込まれるケースがたまにありますが、問題なのは失敗したことにあるのではありません。悔やんでいるヒマがあったら、すぐに対処に向かわなければなりません。つまり、失敗はある意味では避けられないものですが、失敗したらすぐに責任を持って対処し、事態収拾をすることが重要なのです。失敗すれば落ち込みやすいものですが、こうした基本的対処を積み重ねていくと、「失敗のプロ」になります。実は「最も失敗した人が最も成功する」のであり、早く成功したければたくさん失敗を重ねることが必要になるのです(いわゆる「名医」と呼ばれる人ほど、たくさんの人を犠牲にしていると言われます)。

バイトのし過ぎに注意。

  バイトはあくまで社会勉強の一環で、収入は二の次です。投資が順調に進んだ場合やビジネス・チャンスをがっちりつかんだ場合は別ですが、バイトに追われて生活がそれを中心として動くようになると、本末転倒です。注意しましょう。本格的に稼ぐのは社会に出てからです。



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第6章 ボランティアもたまにはいいものです。

Do (to others) as you would be done by. (人にしてもらいたいように人にもなせ。)

Doing nothing is doing ill. (何もしないことは悪をなしていること。)

「高潔なる人物は恩恵を施すを好むも、恩恵を施さるるを恥ず。」(アリストテレス『二コマコス倫理学』)

「博愛を実践するには最も大きな勇気が必要である。」(ガンジー)

  ボランティアは是非経験すべきです。人によっては人生が変わるほどの衝撃を受けます。そこまでいかなくても、物の見方が大きく変わることは確実でしょう。福祉施設を訪問するもよし、バザーで福祉商品を売るもよし、行政の福祉課を訪ねて話を聞くもよしです。あるいは世界に目を向けて難民救済やアムネスティ・インターナショナルやユニセフの活動に参加することもできます。その昔、テニス少女達に多大な影響を与えたマンガ『エースをねらえ!』にも感動的な話が出ています。

 こうした実体験からおそらく2つの事実に直面するでしょう。1つは現状のやりきれなさ、もどかしさであり、もう1つは人の心に対する不信と感動です。例えば、心や体に重い障害を持った子の親達は1度は自殺の誘惑に駆られると言います。「自分が死んだらこの子はどうなるのか」という不安がつきまとい、子供以上に親が追い詰められていくのです。『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(向野幾世、旺文社文庫)にはこうした心理や現状がつぶさに描かれています。是非、一読すべきです(絶版なので古本屋で探して下さい。1万円出しても買うべきです)。身近にそうした存在がいなかったとしても、こうした現状の一端に触れると、一体自分に何ができるのか、何をどうしたら解決できるのか、訳が分からない境地に追い込まれます。実社会には答えの無い問題がごまんと転がっています。小学校から受験勉強までのように答えが1つに決まっている問題など、例外中の例外と言えるでしょう。「どうしたらいいんだー!」と思わず絶叫したくなるようなテーマに、いくつもぶつかるべきです。

 また、人に福祉への協力を呼びかけ、お願いする時、人は決してお金があるからボランティアに参加するのではないことが分かるでしょう。高級住宅地の1ブロックに悠々と1軒かまえている人でも嫌な顔をする一方、日雇いのおじさんがうんうんと話を聞いて夕食代を全部出すなんてことも起きるものです。さらに衝撃的なのは障害者の方が、障害者のために協力をすることすらあることです。自分も援助を受ける立場なのに、話を聞いて涙を流し、なけなしの協力をしようとするのです。「何て人は冷たいんだ、もう人は信じられない」と落ち込むこともあれば、「人っていいな、捨てたもんじゃないな」と心に灯りがともることもあるでしょう。そのいずれも人間の真実の姿なのです。



【ポイント】

ゴミを拾うことから始めましょう。

 ものを大切にしないけれど、人は大切にするという人はいません。ものをおろそかにする人は人もおろそかになりがちです。ものに心配りがいかない人なら、もっとデリケートな人の心に細やかな配慮ができるわけがないのです。ある矯正教育(少年院などで行われる教育)で有名な心理カウンセラーは、非行少年少女に悩む親や保護者を対象にした講演会の際に、「今日出されたお弁当のふたについていたご飯粒を全部食べましたか」と聞くそうです。たかがご飯粒ですが、されどご飯粒です。ご飯粒に目が行かない人が、デリケートな思春期の少年少女の心理のヒダに敏感であるはずがないというわけです。

 ボランティア体験も大々的に始めるというよりは、肩肘張らず、まず目についたゴミを拾うところから始めればよいのです。ゴミがあっても気にならない、あるいはゴミを出しても気にならないという人はある意味では鈍感なのです。さりげなくゴミを拾って自分のポケットに入れ、気がついたらポケットにけっこうなゴミが入っていたという人がいたら、一目置いてみましょう。

施設を訪問してみましょう。

 施設訪問は問い合わせをすれば簡単にできます。特に看護・医療・福祉系の仕事を考えている人は、1日体験など実際の現場に是非出てみましょう。見たり聞いたりするのと実際に自分で関わってみるのとは大違いですから、時間を割くだけの価値があります。まさに「百聞は一見にしかず」なのです。

福祉への協力を呼びかけてみましょう。

 自分が福祉の意義や必要性を理解したら、今度はそれを人に伝えてみましょう。自分では納得できることも、人に伝えること、説得して納得させることはたやすいことではありません。一人よがりや自己満足に陥らないためにも、こうしたプロセスは必要です。「自分に分かったことは他人も分かって当然」というわけにはいかないのです。

ボランティアの内包する問題についても考えてみましょう。

 ボランティアに打ち込んでいる人が最も嫌がる言葉は「偽善者」です。しかし、この問題はボランティアに真面目に取り組んでいる人なら必ずぶつかる問題であり、考えてみる必要があります。世の中には他にも困っている人はいっぱいおり、どうしてそのことだけに携わっているのか、なぜそのボランティアを選んだのか、たまたま縁があったからか、自己満足とどこが違うのか、と問い始めると「なぜこのボランティアでなければならないのか」という必然性・理由の問題になり、いわゆる「ボランティアのジレンマ」に陥るのです。優先順位を考えればすぐさまアフリカに飛んでいかなければならないという結論が出るかもしれません。援助が有効に機能していないなら政治の問題にもなり、抜本的な社会構造の変革の必要性すら出てくるでしょう。といって、今の生活を捨てるわけにもいかず、私財を出すにも限界があり、結局、「自分に出来る範囲で妥協しており、自己満足していい気になっているだけだ」という思いにかられてくるのです。いいことをしているはずなのに、逆に悩みが深くなり、ここを人に突かれると、「自分はこれだけやっているのだから勘弁して欲しい」という人すらいます。自由ボランティア責任ボランティアの違いは、この1点を乗り越えたかどうかにあると言ってもいいかもしれません。



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第7章 サークルは成長の場

All work and no play makes Jack a dull boy. (よく遊び、よく学べ。)

「団結によりて小国は栄え、不和によりて大国は破滅する。」(サルティウス)

「平和につけ戦争につけ、一致が勝利を維持する。」(ロレンハーゲン『蛙鼠合戦』)

「人間は1人1人を見ると、皆利口で分別ありげだが、集団をなせば、たちまち馬鹿が出て来る。」(シラー)

 大学に入ればサークルは貴重な「自分の居場所」となります。しかし、サークルによって自分が成長することもできれば、逆に自分をダメにすることもあるのです。こうした活動は体育会系と文化サークル系の2つに大きく分けて考えることができますが、いずれにしても単に楽しいとか、彼氏・彼女探しの場という基準で選ぶと、なかなか長続きしません。「なぜ、このサークルに入るのか」という目的意識が明確で、成長動機がはっきりしていれば、多くのものを吸収でき、なおかつそこでできる人間関係は大学を超えて、おそらく一生の付き合いとなっていくので、お金では買えないような友情や人脈を築いていくことができるのです。こうしたスタンスであれば、複数のサークル活動を展開することも意味がありますが、そうでなければいくつ掛け持ちしても一緒です。ただの「たまり場」が確保されたに過ぎません。

 また、人によっては既存のサークルに飽き足らず、自分でひとつサークルを立ち上げてみようと意気込む場合も多々あります。しかし、これも先述の内容を踏まえないと自然消滅していくことは目に見えています。サークルの設立目的・存在意義が高レベルであればあるほど、存続期間が長くなるのです。もう1つ失敗しやすいケースは男女の問題がからむ場合で、リーダーシップを取る人はたいていこの問題に振り回されます。ただの仲良しクラブならともかく、半ば公共的な性格を持つサークル作りは安易には考えない方がいいでしょう。

 さらに大学内は広いようで意外に狭いものです。大体似たようなレベル・意識の人達が集まっているのですから無理もありません。できればインターカレッジのサークルに参加しておきたいものです。大学を超えた交流が始まり、各界各層とまではいかなくても、多種多様な人物群との交流が可能になります(バイトもまたそうした場の1つです)。大学も国公立と私立では全然雰囲気が違い、女子大やミッションスクールはさらに違います。友達の幅の広さはそのまま人間の幅の広さにつながるものなのです。

 ちなみに日本の大学内のサークルでは、それほど大したことは期待できないかもしれませんが、例えばドイツには学生連盟(ステュデンテン・フェアビンドング)があり、カトリック系・プロテスタント系合わせて100以上、しかもそれぞれが定宿(シュタム・ロカール)を持って、学期中には週1回集まり、大学を転校(ドイツでは1学期ごとに転校できます)してもついて廻る存在となっているため、社会に「連盟閥」とでもいうべきものを形成しているとされます。したがって、ドイツにはいわゆる「学閥」は存在していません。さらに欧米社会には「クラブ」の伝統、さらにさかのぼれば「外交ギルド」に代表される「ギルド」の存在があり、恐るべき人脈と影響力を誇るトップエリート達の集まりがあります。最近、注目されているダボス会議なども実はそうした集まりの1つです。こうした伝統の存在やそのメリットを知っておくと、サークルの活かし方も変わってくることでしょう。



【ポイント】

合コン系、遊び系は長続きがしないものです。

 大学に入れば新歓期にあらゆるサークル勧誘の洗礼を受けますが、華々しい実績を誇る体育会もある一方で、「何だこりゃ」というサークルもあれば、こんなマイナーなことに取り組んでいるサークルもあるのかと驚かされるでしょう。中には春には新歓ハイキングにカラオケ大会、夏には海に山にサマーキャンプ、秋にはドライブ、冬にスキー・スノボー三昧で、合コンはしょっちゅうなんていうサークルもあり、こういう企画なら最初はおもしろそうですが、そのうち人はぐっと減ってきます。人の出入りの回転は早くなり、よほど企画力とマネジメント能力がある人が仕切らない限り、一定水準の活動を維持するのは難しくなります。見た目ほど現実は甘くないのです。

自分が成長できるサークルを選びましょう。

 社会全体は、公私混同→公私分別→公私充実という流れの中にあると言われます。どこに所属していようとも、必ずそこには帰属集団の目的があり、それに合わせなければなりませんが、自分そっちのけで全体に合わせてばかりいると全体主義の弊害が出ます。個性は伸びず、やりがいはいつの間にか擦り切れていって、惰性的になってしまうのです。逆に自己主張ばかりしていると、今度は個人主義の弊害が出ます。この両者は相反対立すべきものではなくて、調和させるべきものであり、そういうスタンスがどこでも取れる人が「達人」と呼ばれるわけです。サークル活動でもそこに埋没して自分を見失ってもダメですし、ただ自分の目的のために利用するだけでもダメです。サークルの存在目的に沿って、その活動を発展させつつ、自分の成長もそれと重ね合って進んでいくというのが理想的なあり方でしょう。



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第8章 英語+αの外国語習得

Rome was not built in a day.(ローマは1日にしてならず。)

「言語は雄弁の才能と同様に、神からのじかの贈り物である。」(ノーア=ウェブスター『アメリカ語辞典』序文)

「始めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(『新約聖書』ヨハネによる福音書第1章第1節)

「外国語の学びたい者は、順番に段階だてて学ばねばならない。まず理解するようにし、次いで書けるようにして、それからやっと話すことを学ぶ方がいい。」(コメンスキー)

「いくつもの言語を知れば知るだけ、その分だけ人間は大きくなる。」(チェコのことわざ)

  英語は国際語としての位置を完全に確立したと言っても過言ではありません。そのレベルは、かつて漢文が東アジア世界に占めていた位置よりも、ラテン語がヨーロッパ世界において占めていた位置よりも、はるかに広範かつ甚大であると言えそうです。かつてアメリカはヨーロッパに対して文化的コンプレックスを抱いていたものですが、今では優越感すら持っており(洗練された文化、伝統、貴族の存在に関しては今なお憧れがあります)、特に大学院レベルの学術では世界最強と言えます。したがって、これからますます英語が不要な社会になっていくという可能性は極めて低く、誰もが英語を理解し、使用し、利用する社会に向かっていることは否めないでしょう。英語に真剣に取り組むことは、避けて通ることのできないテーマだと言えそうです。

 東京外国語大学で「語学の神様」と称された教授によれば、外国語学習のポイントは「時間とお金をかけること」、覚えることはただ2つ、「語彙と文法」と断言されています。つまり、即効性の結果を求めず、とにかく時間をかけ、反復を繰り返し、あせらないことが重要となります。これは、「1カ月でできる!」「わずか3日で分かる!」といった文言に惑わされないということでもあります。そして、如何に毎日、英語に触れる時間を確保するかがカギですが、これは英字新聞から入るのがよいでしょう。タイムやニューズウィークといった週刊誌に比べて新聞は5W1Hがハッキリしており、毎日「読み捨て」ることから「英字情報の取捨選択」を余儀なくされます。タイムやニューズウィークから入って挫折することが多いのは、全部をしっかり読もうとするからです。惜しくて捨てる事もできず、「全部きちんと読まなきゃ」という強迫観念に追われ、あっという間に続けられなくなってしまいます。これに対して新聞の場合、日本の新聞を読む習慣が無い場合は論外ですが、読売新聞を購読している場合にはThe Japan News、朝日新聞を購読している場合ならThe New York Times日曜版(朝日で申込可)、日経新聞を購読している人ならFinancial Times(日本経済新聞社傘下)も購読し、日本の新聞をまず読んで現状を把握した上で、英字新聞のヘッドライン(見出し)・リーディングに入るのです。ここで重要なのは新聞は公正でも中立でもなく、必ず独自の思想的立場に立ち、その観点から事件や現象を料理するということです。したがって、新聞によって同一事件に対する見解が正反対のこともあれば、そもそもどの事件をどの比重で取り上げるかも様々です。ですから、同系列の英字新聞を読む要にすれば、そうした記事のズレが無いため、便利なわけです。

  最初の数カ月は見出しだけ読んで、あとは捨ててもいいぐらいでしょう。そのうち関心のある記事が出てきたり、スペルミスを発見したり、見出しのうまさに手を叩いたりすることも出てくるでしょう。勢い込んで始めてすぐに挫折するよりは、「適当に」「いい加減に」読んで、長く続ける方がよっぽど良いのです。やがて、慣れてくればタイム、ニューズウィーク、USニューズ・アンド・ワールドリポート、エコノミストといった週刊誌に少しずつ手を広げていけばよいでしょう。今はこれらの記事はインターネットである程度入手でき、翻訳ソフトをかければ容易に情報が入手できます。

 さらにコツを得ている人は、如何に人に教えるかということを考えます。実は人に教えることほど勉強になるものはありません。「完全を期してから教える」のではなく、「完全を期すために教える」のです。自分も「学ぶ目線」ですから、教えられる側を見下ろすこともありません。むしろ、分かりにくい所、覚えにくい所も共有しやすいでしょう。共に1つ1つ苦手を克服して、得意になっていけばよいのです。

 そして余裕があれば、英語以外の外国語にも手を出すべきです。「何年もかけながら英語をモノに出来ないのに、どうして他の外国語まで手が回るの?」という質問が出てきますが、英語を見上げている限りは英語コンプレックス・英語アレルギーは解決できません。英語も含めたもっと大きな枠組みに立って英語を見下ろす時、初めて英語に対する苦手意識が緩和されるのです(英語をまだ極めたとは言えない段階であっても)。ドイツ語もフランス語も英語を媒介とすると格段に理解がしやすく、また、「外国語は3つ目あたりから習得のコツが身についてくる」とされ、さらに突っ込んで言えば、比較言語学・文法学の知識と英語学史の知識を持つと、英語に対する見方が格段に変わってくるのです。これはだまされたと思って試してみるべきです。

「著者は、語学の勉強は、やがてはその歴史的研究に進まねば本格ではないとも信じている。」(神田盾夫『新約聖書ギリシア語入門』)



【ポイント】

英語は必須・不可欠。

 外国語をたった1つ選ぶなら、どう見ても英語です。英語の必要性に関しては、もう「諦め」ましょう。「諦め」という言葉は仏教の原義では「明らめ」ることであり、真実をつかむことに他なりません。要はいつから手をつけるかの問題であり、どうせ手をつけなければならないとしたら、社会に出る前がいいに決まっています。逆に英語が使え、経済力が身につけば、どこでも生きていけます。根本的に選択肢が変わってくるのです。最初から敢えて自分の人生を制限付きのものにすべき理由はありません。

第2外国語は取った方がいいでしょう。

 第2外国語は取らなくても大学が増えてきましたが、せっかく学べる場があるわけですから、これを効果的に利用しない手はありません。代表的なものとしてフランス語・ドイツ語・スペイン語か中国語・韓国語か、といった選択が考えられます。

 国際機関で働くことを考えるなら、英語・フランス語がペラペラでスペイン語もできることが望ましいとされます。また、ドイツ語は英語の母語であるゲルマン祖語の直系であり、フランス語も「ノルマンの征服」以来、英語に多大な影響を与えました。さらにラテン語に至っては現代英単語の大部分の淵源となっており、それを背景に持たない英単語の方がむしろ少数です。また、文法規則のガッチリしたドイツ語は最初が難しいですが、それを超えるとラクになり、逆にフランス語は入りやすいものの、発音などどこまで行っても難しい言語と評価されることもあります。

 さらに、世界中の諸言語で唯一と言ってもいいほど日本語文法とそっくりな韓国語は、おそらく日本人が最も早く習得できる外国語ですし、近年、目覚しい発展を遂げ、その国際的重要性が高まりつつある中国語も大人気です。英語と日本語との関連で、東洋の諸言語について大雑把な位置づけをすれば、ギリシア語に相当するサンスクリット語、ラテン語に相当する漢文、ドイツ語に相当する韓国語と見ることが出来るかもしれません。そうなると、日本の国語学習において、古文・漢文が必修とされ、実際にこうした教養の有無は国語能力の差に大きく関わることを考えると、英語学習においてもラテン語、ドイツ語、古・中英語の知識が重要であり、さらに従来の日本の国語教育では韓国語に対する系統的理解が欠けているという観点も出てくるでしょう。

 こうした見方を発展させると、サンスクリット語の影響を多分に受け、モンゴル帝国にラマ教(チベット密教)を送り込んだチベットのチベット語は、ギリシア正教・東ローマ帝国を引き継ぎ、「第3のローマ」を自称したロシアのロシア語が比較されるかもしれません。また、現代中国語(北京語)はラテン語直系と言われるフランス語、一時期世界に大進出したスペイン(ラテン語の影響大)のスペイン語は中国・華僑が話す広東語、イタリア語は台湾語に比較することができるかもしれませんが、これは少々アナロジーの行き過ぎでしょう。

文法・読解・作文・会話の4 ジャンルを押さえましょう。

 外国語学習は押しなべてそうですが、基本単語(大体1,000語)と基本文法(とにかく薄い文法書を使うのがコツとされます)をまず押さえ、それから読み物を通じて読解力をつけ、語学力を飛躍させるのは作文ということになります。会話はネイティブの力(テレビ・ラジオ・映画を含む)を借り、数多く耳にするから聞き取れるようになるのであり、聞き取れない言葉を話せるわけがないとされます。最近では発声法に力を入れ、読み書きにおける「文法」理解の重要性と同様に、話し聞きにおける「発声法」習得の重要性を強調する勉強法も出てきています。

 いずれにせよ、読み・書き・聞き・話すといった4つの基本的言語能力を総合的に伸ばすことが外国語学習ですが、ここで気をつけなければならないことは、バイリンガルには普通はなれないということです。これに関して、バイリンガルになれるのは「親」に恵まれた場合のみ、という言語学者の意見もあります。母国語並みにあるいは母国語以上に使いこなせる言語があるとすれば、それが母国語なのであり、普通は新たに習得した外国語の駆使能力は母国語駆使能力を下回るのが当然だからです。そういう意味では、多くの翻訳者が「結局、外国語の能力ではなく、日本語の能力が問われる」と言うように、外国語を深く学ぶ為には、まず母国語たる日本語を深く学び、その達人にならなければならないと言えそうです。

英語習得ガイドラインについて

(松本道弘提唱「英語道」による。『私はこうして英語を学んだ 秘伝初公開』『「タイム」を読む 生きた英語の学び方』など参考)

ランク

特徴・語彙力

推薦書・実践

該当資格

級外者

「読む」と言えば、学校のreadingの教科書で手一杯。単語も受験用のもので、実用語彙ではない。

学校の教科書。

5級

教科書だけでは物足りず、テキスト以外の本に興味を持つが、後から訳す悪いクセがある。単語の暗記で精一杯。外国人の英語はさっぱり分からない状態。映画を観て、聞き覚えのある英語に出くわすといたく感激する。

注釈付きのサブ・リーダー、ストーリー・マンガ。4コママンガはかえって難しい。英会話の実践はまだ早い。文法や基本型をマスターする段階。

4級

日本の英字新聞のウイークリーに関心が向く。知っている話題を読むだけでワクワク。文法力はまだ不完全。日刊の英字新聞はまだ読めない。語彙数は約3000語。

日本の英字新聞のウイークリー。毎週の習慣とし、英語の流れをつかむ。英会話同好会のようなサークルに飛び込む段階。日常会話ならできる。

英検3級

3級

『リーダーズ・ダイジェスト』などのスタンダードな英語に親しみを覚える。英英辞典を使うが、しばしば和英辞典に逆戻り。語彙数は3000~5000語に増える

リーダーズ・ダイジェスト。聖書、マザー・グースにも挑戦。

英検2級

2級

英字新聞はかなり読めるが、『タイム』はまだ。欧米人の発想・論理の壁にぶつかる。文法や単語にとらわれ、内容まで目が行かない。語彙数は5000~7000語。

タイム、ニューズウイーク、ペーパーバック。

通訳検定3級

1級

学生時代に数年間の海外生活の経験を済ませ、帰国した当座の英語力。『タイム』はかなり読めるが、柔らかい記事はダメ。見出しや会話部分がピンと来ない。やまと言葉の存在は分かるが、訳せない、使えない。語彙数は7000~1万語。

あらゆる英語に本格的に挑戦。USニューズ・アンド・ワールドレポートなど。この頃に海外に行けば、教えることと学ぶことの割合が50対50なので理想的。

英検1級

通訳検定2級

初段

読む・書く・話すを一通りこなせる。critical readingを始める。簡単な通訳なら即席でできる。同時通訳も簡単なものならできる。語彙数は1万~1万5000語。

有段者になれば、読むmaterialは自分で選び出す。内容を正確に把握するanalytical readingに重点を置く。inspectional readingは自分のものになる。

通訳検定1級

2段

国際派ビジネスマンが多い。時間を意識した読書が勝負の分かれ目。やまと言葉が楽しめる。語彙数は1万5000~2万5000語。

analytical readingは身につき、内容を吟味する」critical readingで著者との知的対決を目指す。主体的な読書で知識の活性化を図る。この頃に海外に行けば、日本のPRになる。

3段

トータルな情報が増え、カンが働く。ヒアリングの上達でリズム感がつき、速読が楽になる。語彙数は2万5000~3万5000語だが、総合的な実力と語彙数は比例しない。

syntopical readingに本格的に取り組み、英語によるアウト・プット(話す・書く)のための読破力養成に入る。この頃に海外に行けば、外国人に教えることができる。

4段

日本語と英語の読解力スピードが接近する。

速読力も身につき、自由自在の読み方を目標とする。この頃に海外に行けば授業料がもらえる。



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第9章 山に登りましょう。

Make haste slowly.(ゆっくり急げ。)

「(なぜエヴェレストに登りたいのかと問われ)なぜなら、そこにそれがあるから。」(ジョージ・マロリー)

「人の一生は重荷を負ふて遠き道を往くがごとし、急ぐべからず。」(徳川家康)

  「山登り」は「人生」に似ていると言われます。途中はつらいばかりで、休みたくなるし、いっそのこと止めてしまえと何度も思うわけです。しかし、仲間と励まし合ったり、山水でのどを潤したりして元気づけられ、あるいは見え隠れする頂上に「もう少し、もう少し」と思わされて、とうとう頂上に達すると、それまでの苦労がウソのように消えて、「あー、最後まで登り切って本当によかった」としみじみ思うのです。こうした体験を持っていると、逆境に遭った時、「それでもそれでも」と乗り越えられるでしょうし、一度そうした乗り越えた経験を持つ人はまた新たな逆境に遭遇した時、乗り越える力を与えられるものです。実際、人が逆境を乗り越えられる、最後の原動力は「かつて逆境を乗り越えたことがあるという体験」であるとされます。となると、そうした最初の体験を如何に持つか(たとえそれが如何に小さいものであったとしても)ということが重要になってくるのであり、こうした観点で見ると「山登り体験」は「人生の縮図」のような様相すら帯びてくるのです。

 また、人によっては道に行き詰まった時、充電期間を確保する時、「山ごもり」をするという人もいます。もちろん、別荘に行く人もいれば、海に出たり、座禅をするという人もいるでしょうが、1つの転機を迎えた時にいったん日常生活を離脱し、自分を見つめ直す時間を取ろうとするわけです。古来、「山には霊気がある」とされ、しかるべき所に行けばしかるべき気を受けるということですが、山はその最たる例ということになるのでしょう。例えば、京都市街を見下ろす比叡山の山頂の一角(ガーデンミュージアム比叡の中)には、有名な「将門岩」と呼ばれるものがあります。ここで眼下に京都(当時の天下と言ってもよいでしょう)を見下ろしながら、平将門(関東で「新皇」と名乗って独立運動を起こしました)と藤原純友(海賊を率いて瀬戸内海を荒らし回りました)は天下と盗る相談をしたというのです。これが史実かどうかは定かではありませんが、今でもこの岩の上に立って京都の街を見下ろしていると血がムラムラとたぎり始め、「ワシが天下を取ってやる!!」と思わず握りこぶしを突き出したくなるのは事実です。

 ところで、山に登れば、たいてい大声で叫ぶものですが、「バカヤロー宣言」という面白い試みもあります。これは山頂で「○○のバカヤロー!!」と大声で何度か叫ぶというものですが、この○○には自分の名前が入ります(間違っても隣の人など、他の人の名前を入れてはいけません)。そして、「過去の自分」とここで決別するんだという意気込みで、力の限り、声の続く限り、叫ぶのです。一生懸命やると意外にスッキリするものです。是非、お試し下さい。



【ポイント】

「最後まで思い出に残るスポーツは登山」です。

 よく言われることですが、後々まで「思い出」に残るのは「登山」とされます。あるいは年をとっても続けやすく、全身運動としていいのが「水泳」、年をとってもいい思い出として長く残るのが「登山」ということになるでしょうか。ちなみに、生物学者としてダーウィンに真っ向から反対して「棲み分け理論」を唱えたことで有名な今西錦司は、山登りにしょっちゅう行っており、植物の植生など全部自分の目で確かめてきたことをよく叫んでいました。「ここにはこう書いてあるが、本当は違う。なぜなら、ワシは自分の目で確かめてきた」というわけです。この場合は「思い出」どころか、「学術」にまで高まったケースと言えそうです。

「山登り」はなるべく仲間と行きましょう。

 危険なクライミングは避けるとしても、1人登山は万が一の時が大変です。やはり、仲間と一緒に行くのが無難な所です。そして、できれば日本だけではなく、海外でも有名で手頃な山には足を運んでみましょう。「思い出」は分かち合うのが基本です。

準備を怠らないことです。

 いちいち重装備をする必要はありませんが、夏でも山頂は意外に冷えるのでトレーナーやジャンパーなどの準備は不可欠です。たまに軽い高山病にかかって調子を悪くする人もいるので、自分の体調と相談しながら、無理をしないようにしましょう。「仕事は段取りが全て」というのはあらゆるビジネスの基本ですが、これは何にでも当てはまります。



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第10章 映画もいいですよ。

Life is but an empty dream. (人生ははかない夢にすぎない。)

「この世は一つの劇場に過ぎぬ。人間のなす所は一場の演劇なり。」(クリソストムス)

「人生より難しき芸術はなし。他の芸術・学問には至る所に師あり。」(セネカ)

  「外国へ行ったら、必ずその国の映画を見て、その国の人の心情を学びなさい」とよく言われます。その国で愛され、受け入れられている映画というものは、その国の人の気質、性向、特徴に合っているからそうなのであり、異文化を知る上でまたとない材料となるでしょう。

 また、レンタルビデオで話題の映画を安く見るのもけっこうですが、古典・名作と呼ばれるものもたまには見てみましょう。現在の映像技術からすれば幼稚な部分もあったりしますが、「いいもの」はやはり「いいもの」です。時を超えて心に迫ってくるものがあるでしょう。

 そして、洋画(英米系)に関しては、ストーリーが完全に分かっているものなら、英語の勉強として活用することもできます。これは好きで頭に入っているものなら何でもよく、007シリーズを使った人もいれば、ダイ・ハード・シリーズを使った人もいます。この場合、気をつけなければいけないことはスラングが多かったり、破格の言い方が多いものは避けた方がいいということです。英語はまず正統的な言い方を覚えるべきで、スラム街で使うようなスラングばかり一生懸命詰め込んでも、一体、どこでいつ使うのかという問題があるのです。マトリックスのように、標準的で分り易い英語を使っている映画を選んだ方が無難です。こうした映画で使用されている英語のレベルを教えてくれる本も出ています。慣れてくれば、気の利いた言い回しをものにできたり、訳の不適切さや間違いに気づくようになります。



【ポイント】

映画も格好の研究材料です。

 自分の人生で実体験できることは限られますが、映画を通して多くの人生を自分の中に取り込むことができます。ある意味では読書よりも感情移入しやすいので、何度も繰り返して見ましょう。

 また、映像・音響の仕事に関心がある人は映画の裏側にも目を向けましょう。映画の本場はどう見てもアメリカですが、日本と違って仕事の分業とそれぞれの仕事に対する尊敬・尊重は徹底しており、非常に仕事がしやすいと言われます。映画は音楽あり、映像あり、音響あり、ドラマありといった総合芸術であり、あらゆる技術レベルの集大成として出来上がります。さらに配給・広告・営業といった面に目を向ければ、ビジネス・経営としての要素も強く出てきます(非常に成功しづらい分野ですが)。研究対象としては格好の材料でしょう。

機会があれば演ずる側に回ってみましょう。

  「乞食と芝居は3日やったら止められない」とは、ハマッた人が口を揃えて言うことです。別に映画に出演する必要はありませんが、「人生は劇場である」とするならば、ちょっとした交流会の場など、機会があれば思い切って演ずる側に回ってみましょう。映画制作のように企画立案から始まって、台本作り、練習、舞台設定、小道具・大道具作り、衣装作り、予行、本番といった一連のプロセスを曲がりなりにも体験することは、貴重な経験と言うべきです。



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第11章 新聞は必ず取りましょう。

The pen is mightier than the sword. (ペンは剣よりも強し。)

Truth is stranger than fiction. (事実は小説よりも奇なり。)

「新聞の自由は、如何なる民主国家においても生活の要素である。」(ウィルキー「演説」)

「新聞は世界の鏡である。」(エリス『印象と論評』)

「新聞は一般庶民の教授である。」(ヘンリー=ビーチャー『プリマウス説教集』)

「アメリカにおいては大統領は4 年間統治するが、ジャーナリズムは永久に支配する。」(ワイルド『社会主義における人間の魂』)

  新聞は絶対読まなければなりません。情報戦略を持たない人が何事か成そうとしても、それは無理な話です。例えば、世界の覇権国家・アメリカの政治を動かしているのは、政権、連邦議会、メディアの三極であるとされます。今や「三権分立」の「三権」に加えて、マスコミは「第四権力」として、侮れない存在となっているのです。重要な政治的動きも経済動向も社会の変化も、ある一定レベルに達すると新聞で取り上げられるテーマとなり、場合によっては世論形成に向かっていきます。もちろん、メディアとしてはテレビもラジオもインターネットも出版物もありますが、現行媒体としては巨大な知的インフラたる新聞の存在は無視できないところです。

  新聞を情報ツールとして使いこなすには、おそらく3~5年はかかると思われますが、とにかく急いで定期購読に入りましょう。とりあえず、読売・朝日・日経がすぐに候補に挙がりますが(他にも毎日・サンケイ・東京などいろいろとありますが)、まずメインを決めましょう。ジャーナリズムとしての総合力なら読売、サイエンスやヒューマニズムにセンスを発揮する知的な朝日、経済関連ならダントツの日経など、それぞれ特徴がありますから、目的や相性に応じて選ぶとよいでしょう。ここで重要なのは、可能であれば複数紙を取って、比較分析をすることです。マスコミは必ず偏っているものであり、「中立公正な立場」など存在しません。1紙しか取らないと、その紙面で取り上げられている視点・見解を鵜呑みにしてしまう危険があり、そもそもそこで取り上げられていないものに関しては、知りようがなくなってしまうからです。したがって、例えば読売-サンケイ、朝日―毎日といった系列の似た新聞を取るのではなく、読売―朝日、読売―日経、朝日―日経というように異系列の新聞を取るのがベストです。

 逆に英字新聞の場合は読売を読んでいる人ならThe Japan News、朝日を読んでいる人ならThe New York Times日曜版(朝日で申込可)、日経新聞を読んでいる人ならFinancial Times(日本経済新聞社傘下)のように同系列で読んだ方が先読みしやすくなります。日本の新聞では禁じ手とされるレイアウトも、英字新聞ではバシバシ出てくるので、日本の新聞に慣れた人には最初は違和感もあるでしょう。



【ポイント】

テーマを決めたらスクラップを

 新聞で取り上げられている全ての分野に関心を持つ必要はありませんが、とりあえず、自分の関心領域、必要分野に関しては切り抜いておきましょう。最初、熟読を始めた段階では、あれもこれもと関心が出始めて、あっという間にスクラップがたまってしまうことがあります。これは半年、1年経ったら、「情報の見直し」をする必要があるということです。いったん、期間を置いてみると、その情報の重要度が下がってくる場合があり、吟味して、活用度・重要性の高い情報のみを残すべきです。これは本も一緒で、集めることに満足していても意味がありません。2年間、開くことの無かった本は死蔵といってもよいでしょう。時を見て、処分することも必要なのです。

新聞は読み捨てるものです。

 ある程度、知識が蓄積されてくると、読むスピードが格段に速くなってきます。これは新たな情報のみにアンテナを張っておけばいいからで、「情報の取捨選択」が素早くできるようになるからです。実は「速読(speed reading)」は新聞で最も訓練されるのです(一般書でもできますが、時間がかかります)。なぜなら、新聞は「読み捨て」るものであり、必要な有益情報のみピックアップするという姿勢が確立されやすいからなのです。



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第12章 友達、先輩、後輩は貴重なものです。

Two heads are better than one.(2つの頭は1つの頭にまさる。「3人寄れば文殊の知恵」)

A friend in need is a friend indeed. (まさかの時の友こそ真の友。)

Out of sight, out of mind.(去る者、日々に疎し。)

「友情は世界を一つにする唯一の結合である。」(ウッドロー=ウィルソン)

「友情は魂の結びつきである。」(ヴォルテール『哲学辞典』)

「順境にて友を見つけるはたやすく、逆境ににてはきわめて難し。」(エピクテトス『語録』)

  人脈、人的ネットワークというものは実に貴重な、得難いものです。例えば、「情報」というものに非常に意識の高い、ハイレベルな人が自分と同レベルの10人の友人を持っていたとします。その人達の友人についての話でも、「実はこういう話を聞いたことがある」とその情報を自分のものにすることができます。直接情報源は10人でも、間接情報源としてさらに100人のネットワークを持っているようなものです。さらにその10人の友人達が自分と同じように間接情報源を使いこなす人物であったら、その人達が持つ10人の直接情報源と100人の間接情報源すらも、自らの情報源とすることができます。こうなると、10+100+1000人の情報源があるということになります。もしこの知人ネットワークが情報ネットワーク化したら、空恐ろしいことになるわけです。欧米ではこうした交流関係の形成が盛んですが、これは無形の財産作りと言ってもよいでしょう。

 こうした利害得失はともかく、友人の有無・質はその人の人生を作用する大きな要素となります。大学時代にできる友人は一生モノなので、いい友人にめぐり遭いたいものです(そのためにはまず自分を磨かなければなりません。「類は友を呼ぶ」という原則は生きています)。夜通し語り合う友人の1人や2人いなければ、少々寂しいと言えるでしょう。「親友は何人いますか?」と聞かれると、「親友ってどのレベルの友達ですか?」と聞き返されることがありますが、これは「親友」がいないからです。「仲のいい友達」「遊び友達」「バイト仲間」はすぐにどこでもできますが、「親友」は簡単にはできません。まだいない人は「親友」を得ることを目標とすべきです。すでに「親友」ならいるという人なら、親友を超える人間関係もあるということも知っておきましょう。もちろん、異性間なら恋人も該当しますが、同性・異性を問わず、親友を超える人間関係は存在します。黒人なら「ソウル・ブラザー(魂の兄弟)」、東洋の伝統にある「義兄弟」、あるいは「世界は一家、人類は兄弟」というスローガンがそれに近いかもしれませんが、人種・民族・宗教・文化・歴史の壁を超える人間関係の実現は一生のテーマとするに足ります。

 ちなみに人間関係の基本は「家庭」にあります。人は本来、家庭の中で必要なことを学んでいくのですが、その足りない部分を学校や社会で補っていくわけです。兄や姉がいない人なら積極的に先輩との関係を築くとよいでしょう。何でも教えてもらい、相談し、頼れる人をたくさん持つべきです。逆に弟や妹がいない人なら後輩の面倒を見てあげましょう。愛されることも重要ですが、愛することもまた重要です。また、父親・母親と生別・死別した人なら、親代わりの人がいるに越したことはありません。人間は根本的には理性によって生きるのではなく、情によって生きているので、「情は情でしか埋められない」のです。特定の情的関係の欠落や歪みは、その他のものでごまかすことはできても、埋め合わせることはできません。あのマザーテレサがたくさんのインドの孤児達を養子に出すに当たって、「親にはかなわない」ともらしたことは印象的です。どんなに献身的に尽くしても、養親が養子を懸命に育てる愛情がまさるというのです。これは自分が本当に求めているものを、本人も自覚せず、表面上は別なもの(たいていは恋愛です)を求めてしまうという悲劇も起きるという原因にもなっています。

 例えば、男性遍歴の豊富なマリリン・モンローがいますが、彼女の不幸な生い立ちから実は「父親」を求めていたことが知られています。ところが彼女に接する男性達は当然のことながら、恋人として、あるいは夫として接していくため、やがて彼女の無意識の要求に耐えられなくなっていくのです。彼女は自分でも父親を求めていることに気づかず、満たされない思いを抱えて、次から次へと男性遍歴を重ねていきました。本当は彼女に必要だったのは恋人ではなく、「父親的存在」だったのです。同じように妻子ある男性との不倫にばかり走る女性もいます。ところが、その男性が離婚を決意し、その女性との結婚を決意するとなぜか冷めてしまい、また次の妻子ある男性に走るということも起きます。これも恋愛ではなく、本当は「父親」を求めているためで、相手が「父親」でなくなった途端に情がいかなくなってしまうためです。無意識の欲望を知ること、自分の本当のニーズを自覚すること、まさに「汝自身を知れ」ということが、人間関係を通した自己形成においても決定的に重要となるのです。



【ポイント】

人の心には3つの扉があると言います。

  第1の扉は簡単に開いて、誰でもその中に出入りすることができます。いわゆる「知人」レベルのフィールドでしょう。第2の扉は少々固くて、何人かの少数の人しか入ることができません。「友人」、場合によっては「親友」のレベルもここに入ります。ところが、最も奥にある第3の扉は開けたこともなく、開けたいとも思わない、さびついた扉だとされます。人は誰しも解放されない、満たされない思いを抱いているものですが、その最終的解決はこの扉が解き放たれた時になされるというのです。これは自分だけでもがいてもどうしようもないことで、やはり「天の時」「地の利」「人の和」の全てが必要なのでしょう。

老若男女を問わず好かれる人が理想的です。

 同性ばかり付き合いがある人、異性ばかりモテる人、いずれも偏りがあります。おじいちゃん、おばあちゃんと疎遠な人、おじさん、おばさんが苦手な人、ちっちゃい子の扱いが分からない人、これまたいずれも円満さに欠けます。一朝一夕にはできませんが、幅広い人間関係の構築を目指すとよいでしょう。



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第13章 「勉強」ではなく「学問」に触れましょう。

Arts is long, life is short. (学芸は長く、人生は短し。)

Never too old to learn. (年をとりすぎて学べないということはない。)

There is no royal road to learning. (学問に王道なし。)

「学びてやまず、棺をおおいて、すなわち止む。」(韓嬰『韓詩外伝』)

「玉琢(みが)かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず。」(『礼記』)

「人間の真の学問、真の研究は人間である。」(シャロン『知恵について』)

 大学はそれまでの小学校・中学校・高校のような「勉強」をする所ではありません。教わりに行く所ではなく、学びに行く所であり、「学問」に触れる所です。そこで保障されているのは「自由」であり、4年間という「場」です。これをどう活用するかは各自に任されていることであり、「大学のレジャーランド化」が嘆かれたのは、ある意味では起こるべくして起こったとも言えるでしょう。それまでと同じ感覚でいたら、ヒマを持て余してすることが無いからです。「~からの自由」(liberty)から「~への自由」(freedom)へとギアチェンジしなければならないのに、「やっと受験勉強が終わったから、これから遊ぶぞう」と言っているようでは先は見えています。大学という「場」は、目的・志を持った人には限りない可能性をもたらしてくれますが、それを持っていない人にとっては逆に自分をダメにしかねない要素すら持っているのです。

 さて、「学問の本質とは何か」ということに関して、社会科学の大家マックス・ヴェーバーは「それは驚きである」としました。何かに気づき、発見し、論証し、その成果に「おお、これは!」という「驚き」の声を上げること、これが大切だということなのでしょう。実際に「学問」に開眼するきっかけとなることは、いわゆる「本物」に触れ、「驚き」の声を上げることであることが少なくありません。少なくともこうした「驚き」体験(「あッ」体験、「分かった」体験と読んでもいいでしょう)が、学問の本質にはなければならず、それがないものはただの知的体系、ただの知識の集積でしかないのです。もう一歩踏み込んで、「学問とは衝撃である」と言いたいところですが、いずれにせよ、こうした驚き・衝撃を1度も感ずることなしに、学問の世界を知ることは不可能でしょう。

 きれいな夕日など、何かに心から感動した時には「ちょっと、ちょっと、こっちに来て、これを見て!」と、頼まれもしないのにその感動を人に伝えようとするものです。同じように学問に触れて、驚き体験・衝撃体験をしている場合には、その感動を人に伝えずにはいられなくなるのです。したがって、教育の本質は「感動」体験にあると言ってもいいかもしれません(「教育」はよくロウソクの火を移す作業にたとえられます)。



【ポイント】

「学問」には「良師」と「良書」が必要です。

 武道の世界では、「3年かかって良師を探せ」と言われます。これは良師につけるかどうかで修行の半分は決まるも同然だからです。学問の世界でもまず情報を集め、第一人者を探し、その伝統・遺産を相続しなければなりません(でなければ乗り越えることもできません)。これは私淑の場合も同様です(この場合、「良書」の存在が媒介となります)。多分野に目が利く人は、それぞれの分野において指針とすべき「識見の主」を持っているものです。全ての分野で第一人者になることはできない以上、これは必然的と言えるでしょう。

「学問」の「空気」に触れることです。

 どの大学にも学風・校風・気風といったものがありますが、どこであっても「学問」の「空気」というものに触れるべきでしょう。学生時代にあまり学ばなかった人も、社会に出てからしばらくすると、「あー、もっと学んでおけばよかった」と言うものです。これは「勉め強いられる」とやる気は出てきませんが、実際にある分野で仕事に携わり、その分野での知識も広がってきて、問題意識が深まったり、貪欲さが出てきたりして、「学び問う」必要性、必然性が出てくるからです。向上心が啓発されてくるのです。ですから、学生時代には「学問そのもの」に深く首を突っ込まないまでも、せめて「学問の空気」ぐらいは吸っておきましょう。



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第14章 日記をつけ、詩を書いてみましょう。

  「自己との対話」は自己の成長にとって不可欠の要素です。そのために最も有益なツールが「日記」です。といっても毎日こまめにつけるものではなく、何か思いついた時、いいものに触れた時、それを何でも書き留めておくような「雑記帳」がベストです。これは書くことに意味があるのではなく、その中身に意味があるからです。アーティスト系の人の中には「ネタ帳」と呼んでいる人もいますが、ここではもっと幅広い意味で使っています。時には「詩」を書いてみるのもよいでしょう。詩は最も手軽で、誰にでもできる芸術の1つです。人は誰でも「小さな詩人さん」なのです

 人が成長していく上でどうしても克服しなければならない課題の1つとして、「孤独」があります。「自己との対話」を持たない人は周囲の人を頼るしかなく、常に人と話していないと落ち着かなくなってしまいます。時には自分と向かい合い、「自分は何がしたいのか、何を悩んでいるのか、どうすればいいのか」と深く沈潜する必要があるのです。中には「自分は考えすぎてなかなか踏み出せない」という人がいますが、これは逆に考え足りないのです。考えているといっても、同じ所を堂々めぐりしているばかりで、「あらゆる角度から考え抜いて、どう考えてみてもこれ以外の結論が出ない」という所まで到達していないのです。本当に考え抜いてここまで到達した人であれば、もう考えません。考えてもムダだからです。後は行動あるのみで、その中で新たな情報、知識、経験が生じてくれば、考えも変わってきますが、それまでは「現時点でのベストの答え」を出しているのですから、考えるだけ時間のムダになります。

 ところが、これを頭の中だけでやろうとすると、よほど頭のいい人でない限り挫折します(実は祈りや座禅はこれをやろうとしているのです。いわゆる「無念無想」は「雑念雑想」を経て到達します。何度も何度も考え、反芻していると、2時間も3時間もとりとめもなく考えていたことが2~3分で通過するようになり、そのうち結論が定まると考えなくなるのです)。最も現実的な方法は「目で見て考える」「ビジュアルに考える」ということで、ここで日記を駆使する意味が出てきます。特に優先順位もつけず、気の利いたことを書こうとも思わず、ひたすら思いつくままに書きなぐっていくと、だんだん書いている中で整理されてくるでしょう。時として2人称で自分に呼びかけているかもしれません。このようにして孤独を乗り越え、挫折を克服した経験を1度持てば、またそのような試練がやってきた時、「あの時、ああやって乗り越えられたんだから、今度も大丈夫だ」と自分に言い聞かせることができます。1度の体験も無ければ、ただの「空元気」になってしまいます(「大丈夫」という根拠が無いからです)。「希望」というのは現実的可能性が無い所には生まれないのです。

 ここで1つ、気をつけなければならないのは「自意識過剰」でしょう。「孤独」と対決した人であればあるほど、この問題は大きくなります。これは人間関係なくして克服できません。「自己との対話」と「豊かな人間関係」は車の両輪のごとく、どちらが欠けても目的地に行くことを妨げるのです。



【ポイント】

日記は自分の「鏡」です。

 どんなに記憶力の優れた人でも、1週間前に考えたこと、思いついたことを覚えているものではありません。少しでも「これはいいな」と思ったことは、自分の考えであれ、何か目にしたものであれ、日記に書き留めておくのがよいでしょう。実際、1度考えたことについて語ったり、書いたりすることは容易ですが、考えたこともないようなテーマについて臨機応変に対処することは難しいものです。それが1年、2年と積み重なってくると、今度はそれを読み返す度に「ああ、こんなことを考えていたのか」と驚くこともあり、自分を正す「鏡」になることすら出てくるのです。こうした「鏡」、奥行き、幅を持っている人とそうでない人の差は、年月が経てば経つほどはっきりしてくるでしょう。

自分と対話する時間が必要です。

  「忙しい人ほど時間を作るのがうまい」と言いますが、こういう人ほど必ず「自分に向き合う時間」「1人になって考えにふける時間」というものを確保しています。これは1日10分でも20分でもいいのですが、新たな発想・アイデアの源泉となる時間なのです。人によっては、「私は毎晩、作戦会議を開いている」(もちろん参加者は自分のみです)と言っている人もいます。

最高の表現形態は「詩」であるとされます。

 「詩」は1つの言葉に多くの意味や世界が込められ、最高の表現形態とも呼ばれます。例えば、有名な王維の「鹿砦」などは文学形式としても洗練されていますが、しばしば吟唱されて音楽になり、さらにイメージが目に浮かぶような絵画的要素もあることから、「総合芸術」とも言えるでしょう。しかし、必ずしもそうした「詩」を生み出す必要があるのではなく、いいものに触れれば日記に記して自分のストックにしておけばよいのです。

 実は人間の魂は激しい絶望やどん底(いわゆる「実存的危機」)に陥ると、感性が鋭敏になり、書けば全て「詩」になるという状況すら生まれます。ところが、一転して幸福感に満たされてくると、「詩」が1つも出てこなくなります。やはり、「詩」は単なる言葉遊びなのではなく、「魂の叫び」なのでしょう。したがって、表現上の巧拙はともかく、誰もが「小さな詩人さん」になり得るのです。

「死」を直視した時から「生」が始まります。

 日頃、普通に生きている時には、「自分がいつかは死ななければならない存在である」となかなか実感できないものですが、実は「死」を自覚し、直視した時から本当の「生」が始まると言っても過言ではありません。中世ヨーロッパの修道院では「memento mori」(メメント・モリ、死を想え)とこれを表現し、常に自らを戒めていました。それは身近な人の死かもしれませんし、自分が危うい状況に陥った時かもしれません。そうした時、日記は心強い味方になってくれるでしょう。思わず、詩も生まれてくるかもしれません。ちなみに愛する女性の「死」に直面した2人の人の詩を取り上げてみましょう。

<永訣の朝 宮沢賢治>

きょうのうちに

とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ

みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)(1)      (1)あめゆきとってきてください

うすあかくいっそう陰惨(いんざん)な雲から

みぞれはびちょびちょふってくる

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)のもようのついた

これらふたつのかけた陶椀(とうわん)に

おまえがたべるあめゆきをとろうとして

わたくしはまがったてっぽうだまのように

このくらいみぞれのなかに飛びだした

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子

死ぬといういまごろになって

わたくしをいっしょうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまえはわたくしにたのんだのだ

ありがとうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまっすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから

おまえはわたくしにたのんだのだ

銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

……ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまっている

わたくしはそのうえにあぶなくたち

雪と水とのまっしろな二相系(にそうけい)をたもち

すきとおるつめたい雫(しずく)にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていこう

わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ

みなれたちゃわんのこの藍(あい)のもようにも

もうきょうおまえはわかれてしまう

(Ora Ora de shitori egumo)(2)           (2)あたしはあたしでひとりいきます

ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう

あああのとざされた病室の

くらいびょうぶやかやのなかに

やさしくあおじろく燃えている

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらぼうにも

あんまりどこもまっしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

   (うまれでくるたて(3)            (3)またひとにうまれてくるときは 

    こんどはこたにわりゃのごとばがりで       こんなにじぶんのことばかりで

    くるしまなぁよにうまれでくる)         くるしまないようにうまれてきます

おまえがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に変って

やがてはおまえとみんなとに

聖(きよ)い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう



<高村光太郎 レモン哀歌>

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう



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第15章 単位は上手に取りましょう。

Hoist your sail when the wind is fair. (順風に帆を揚げよ。)

He who hesitates is lost.(ためらう者は負ける。)

 大学に入れば、学生の義務として単位を取らなければなりません。中にはそれまでの学校生活の延長のようにして、無遅刻・無欠席の「皆勤賞」を誇る真面目人間もいますが、これは愚の骨頂です。「価値判断」「現実的対処」ができていないからです。もちろん、真面目な人は「真面目なだけじゃダメだ」と言われると、「そんなことを言われても自分はこれ以外できない」と言いたくなりますが、そろそろ次のステップに入る頃だと考えましょう。

 授業の中には講義・演習(ゼミ)・実験などがあり、出るべき価値があるもの、出なければならないもの、単位さえ取ればいいもの、とはっきり分かれてきます。授業概要などで内容を吟味し、自分が学びたいと思うもの、進級上や資格取得上、必要なものをよく見極めて受講登録をするわけですが、残念ながら日本の大学の教授・助教授は研究のプロではあっても、教育のプロであるとは限りません。アメリカの一流大学ではこの点、厳しく、研究に専念できるポストがある反面、学生の評価は契約更新や昇進の重要なファクターとされ、学生が理解しづらい、意欲をそがれる授業などもってのほかです。日本でも改革しなければという動きがないわけではありませんが、現状はないと見ておいた方がよいでしょう(何しろ、論文のレフリー制すらないのですから)。

 したがって、授業の中には教授本人が書いた本の内容を1年かけてやるだけのものもあり、そんなものはその本を買えば、1週間で終わる内容ですから、1年かけて出席する意味はありません。出席を取らないようなら、さっさと見切りましょう。基本的に出席が厳しいのは語学系、資格関連系、ゼミ系なので、それ以外はテストかレポートで単位を取りさえすればいいのです。ノート係を割り振って共同で対処するような、チームワークのいいクラスに恵まれればそれを利用し、バラバラなクラスなら試験前1週間には必ず出席して、隣の人と友達になり、その場でノートを借りてコピーし、授業中のうちに返しましょう。4年生になって卒業がかかっている時には、試験が終わった後、ヤバイ科目は必ず教授の研究室か家に電話を入れて、「就職が決まっているんです。レポートでも何でも出しますから、お願いします」(「追試でも何でも受けます」とは絶対言わないことです)と泣きを入れましょう。たいていは自分の担当科目のみで卒業を1年延期させ、決まっていた就職も棒に振らせるという事態は避けるものです。たまに鬼のように厳しい人がそれでも落として就職をフイにさせることもあります。しかし、間違っても手土産を持って訪ねることはしてはいけません。これをすると、どんな人情家の教授にも「良心の反動」が起きます。あくまで学問に対する誠意を示すべきです。

 レポートは簡単です。最初は独創的なペーパー(卒業論文はなるべくこれを目指すべきです)を書こうとするよりも、数冊の本から使える箇所を抜き出し、つぎはぎしてまとめて仕上げましょう。本を探すことも、何が使えるか、見抜けるようになるのも訓練です。後々、社会に出てからも文章作成能力は必要とされるので、在学中に一定レベルはできるようにしておきましょう。



【ポイント】

「鬼・仏ランク表」は必ず手に入れて、楽勝科目で固めましょう。

 大学にもよりますが、新歓期にはたいてい授業の単位の取り易さに関する「鬼・仏ランク表」(「天使と悪魔」とか呼び方はいろいろあるでしょう)が配られています。これは先人達の苦労と知恵の集積ですから、なるべく入手して活用しましょう。敢えて「鬼」とされている難関科目に挑もうとする人もいますが、なるべく楽勝科目で固めた方が有効時間を生み出すことができます。「たかが単位、されど単位」なので、抜かり無く手を打ちましょう。

なるべくいい成績を取っておくと、編入学・留学の際に便利です。

 成績は得点で優・良・可でランク分けされることが多く、卒業するだけなら「可」ばかりでもいいわけです。ただ、編入試験や留学などのことを考えるとあまり芳しくない成績は考えものです。やはり、取れるだけ「優」を取っておくのが賢明でしょう。

卒業論文は極力書きましょう。

 最近はゼミに出て単位を取れば卒論は取らなくてもよかったり、理系で卒業研究をすれば卒論は不要というケースも多くなってきました。しかし、理系はともかく、文系であれば卒論を書くことは学生生活の締めくくりとして取り組むべきです。単に卒業したいだけなら2週間~1カ月でも完成できます。期限内に納得いくものができなかったと言って、さらに1年留年する人もいますが(こういう人は文学部に多いものです)、不十分でも形を作り、現時点での結果を出す方がよいと言えるでしょう。もちろん大学院進学・留学を目指す人、研究者を目指す人なら、評価対象となるので「質の高さ」も要求されます。おそらく初めての本格的論文であり、問題の所在を発見することも分析することも容易ではなく、苦労することは目に見えていますが、曲がりなりにも1つの形を作ることで学生生活に決着をつけ、達成感をもって次のステップへと踏み切ることができるものです。



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第16章 取れる資格は取っておきましょう。

Heaven helps those who help themselves. (天は自ら助くる者を助く。)

 日本の社会は「学歴社会」、それも「最終学歴主義」であることは論を待ちませんが、少しずつ「学歴よりも即戦力」「ブランド・ネームよりも資格・実力」といった風潮が出始めています。東大・早稲田・慶應といったトップ・グループなら、研究室などに指定席があり、「座して待つ」ということもあり得ます。「学歴不問」を掲げる大企業でも、ちゃんとこうした指定枠を押さえた上で、こうした宣伝文句をうたっているのです。しかし、中堅以下の大学ならネームに頼ることなく、自分で自分を磨き、売り込みをかけていくぐらいの心意気が必要です。

 今はネット求人も盛んなので、昔のように何十社にも資料請求し、OBと会い、面接試験を重ね、内定を取っていくというプロセスの前に、ネットでエントリーした段階で蹴られるということも増えてきました。早々と内定が決まる人と、何十、何百社回っても全然決まらない人と、二極化傾向も起きています。つまり、在学中に何をしてきたのか、どんなことができるか、どんな資格を持っているのか、どういう仕事をしたいと考えているのか、こういったことが問われてくるのです。昔のように体育会に入って、幹事とか役をやっていると有利といった時代は過ぎ去りました。在学中からネット・ビジネスに携わり、起業する人物も出てくる中、資格志向、実力志向はますます強まってきていると言ってもよいでしょう。

 取れる資格は極力取っておき、留学制度があれば短期・長期を問わず、それに参加し、職歴・キャリアもすでに手をつけられるものなら手をつけておきたいところです。資格や免許などは在学中には取りやすくても、社会に出てから改めて取ろうとすると大変です。ダブル・スクールは今では当たり前のようになってきました。在学中は「最大の自己投資期間」ですから、これを有効に活用しましょう。



【ポイント】

語学系なら英検、国連英検、TOEIC、TOFEL。

【英検(実用英語検定)】知名度が最も高く、5級から1級まで年間400万人以上が受験しています。履歴書に書けるのは2級以上であり、英語力としての評価対象は準1級以上でしょう。

【国連英検】国連に関する出題もある、国際性の高い英語検定。特A級からE級まで6ランクに分かれており、上級レベルになると国際関係・国際政治などの問題意識や判断力も問われてきます。

【TOEIC】国際コミュニケーション・ツールとしての英語力を10~990点のスコアで検定。リスニング100問、リーディング100問。会社でも昇進条件としてこれを義務付ける所も出始め、大学でも対策講座を設ける所は多いです。ビジネス英語としての評価は英検以上。

【TOEFL】アメリカの大学・大学院に留学する際に、授業についていけるかどうかを判定することを目的としたテスト。アメリカ留学の第一関門です。

【主な英語民間試験】この他にGTEC、IELTS、TEAP、ケンブリッジ英語検定など 

*最新情報を確認して下さい。

英語民間試験

英検

TOEFL iBT

TOEIC L&R

TOEIC S&W

主な使用目的

生涯学習

海外留学など

日常生活・ビジネス

実施回数(年)

3回

120回以上

約12回

24回

受験者数

約420万人

約80万人

約220万人

約3.5万人

会場数

400~500

50以上

23

14

受験料

準1級約1万円

約4万円

約8,000円

1万450円

【各英語民間試験のレベル】文部科学省の資料に基づく *最新情報を確認して下さい。

CEFR

英検

TOEFL iBT

TOEIC L&R(495×2)+TOEIC S&W(200×2)×2.5

C1

1級2600~3299

95~120

1845~1990

B2

準1級2300~2599

72~94

1560~1840

B1

2級1950~2299

42~71

1150~1555

会計系なら簿記。

【簿記検定】会計・税務系資格の最高峰は公認会計士ですが、全ての入り口は簿記検定とされます。日照簿記検定1級または全経(全国経理学校)簿記能力検定上級の合格がスタートとなり、会計・税務系ではこれが事実上のエントリー・レベルとして広く認められています。

【公認会計士】経理・会計分野の最高峰の資格。試験は2段階で、「短答式」(マークシート)で財務会計論(簿記・財務諸表論)、管理会計論、監査論、企業法(商法等)が出題され、「論文式」で必須科目が会計学(財務会計論・管理会計論)、監査論、企業法、租税法が出題、選択科目では経営学・経済学・民法・統計学から1科目選択することになります。その後、2年以上の業務補助(実務補習)を経て、日本公認会計士協会主催の「統一考査」に合格してから、公認会計士としての登録が可能になるのです。

【税理士】「会計学」の簿記論、財務諸表論の2科目が必修で、「税法」の所得税法、法人税法、相続税法、消費税または酒税法、国税徴収法、住民税または事業税、固定資産税の9科目のうち、3科目を選択することになります(所得税法と法人税法のどちらかは必修で、2科目選択することもできます)。「科目合格制」を採用しているため、何年かかってもかまわず、1年に1科目ずつ取っていくこともできるので、社会人向けの資格と言えます。

【不動産鑑定士】互換性の高い公認会計士の試験同様、2次試験が難関です。試験科目は民法、不動産に関する行政法規、経済学、会計学、不動産鑑定評価に関する理論の5科目。公認会計士2次試験合格者は会計学が免除され、さらに論文試験で経済学と民法を選択していれば、同じ2科目が免除されます。

【中小企業診断士】経営コンサルタントに関する唯一の国家資格であり、中小企業(日本の会社の99%は中小企業)を対象に、財務、労務、仕入れ、生産、販売など経営全般にわたる診断、指導を行なう。ただし、「経営コンサルタント」は無資格でも名乗ることができ、繁盛している個人事務所も少なくないといいます。また、地方公務員であれば中小企業大学校が実施する養成過程を修了すれば、国家試験を受けることなく取得できます。ただし、この資格には、地方自治体などの依頼に基づく中小企業の公的診断しか独占的な業務はなく、しかも日当はかなり安いため、これだけで事務所を維持するのはとてもできません。また、鉱工業、商業、情報の3分野から選ぶことができますが、商業以外での独立は難しいと言われています。

【社会保険労務士】労働社会保険諸法令により行政機関への提出が義務付けられている帳簿や書類の作成、提出代行、相談、指導を行なう労務のエキスパートです。

法務系なら法学検定。

【法学検定試験】「4級」は法律学の基本である「法学入門」「憲法」「民法」「刑法」に関する試験で、「3級」は大学における履修内容や将来の進路に応じて4つのコースが設定してあり、各種資格試験の腕試しとして利用できます。「2級」は企業等で法務業務を担当し得るだけの実力を習得していることの証明となり、「法学既習者試験」は法科大学院の「既習者コース」(2年)を目指す受験生のために実施しているもので、多くの法科大学院で提出を求められています。

【司法試験】日本における国家資格の最高峰。これに合格しないと、「法曹三者」(裁判官・検察官・弁護士)になれません。アメリカでは法学・経営学・医学の分野では大学院で高等専門教育を行なうシステムになっており、日本でも2004年より法科大学院(ロースクール。法学既習者は2年、未習者は3年)がスタートし、試験制度も変わりました。新司法試験はロースクール修了者が出願条件ですが、終了後5年以内に3回の受験が認められています(さらに受験する場合にはロースクールに再入学しなければなりません)。試験は「短答式」(公法系科目として憲法・行政法、民事系科目として民法・商法・民事訴訟法、刑事系科目として刑法・刑事訴訟法)、「論文式」(短答式の後方系科目・民事系科目・刑事系科目に加え、選択科目として倒産法・租税法・経済法・知的財産法・労働法・環境法・国際関係法〔公法系〕・国際関係法〔私法系〕の8科目があります)。

【司法書士】裁判所や法務省などに提出する申請書類などの代行を独占業務とし、平均報酬は1,500万円とも言われています。その仕事の8割は不動産登記に関するものですが、個人訴訟の背後には必ず司法書士がいるとされ、弁護士の少ない地方では「街の弁護士」として様々な形で活躍する人が多いのです。司法試験のように法律的な解釈論や適用などの能力は業務上問われることがなく、問題で問われるのは司法書士としての事務処理能力であるため、司法試験を天才・秀才型の論理展開型試験とすれば、司法書士は努力によって知識を積み上げていく実務能力型試験であるとされます。試験科目は民法、商法、民事訴訟法、刑法、民事執行法、民事保全法、不動産登記法、商業登記法、供託法、司法書士法で、地道で根気さえあればいつかは合格できる試験です。したがって、法律に興味はあるが、とても司法試験は自信が無いという人に向いています。独立開業後は安定した収入が期待できる他、定年もありません。

【行政書士】役所・官公庁に提出する書類作成の代行を独占業務としています。「街の法律家」どころか弁護士もどき、トラブルシューターとしての役割も担うことができます。マンガ『カバチタレ!』で一躍知名度を高めました。

【弁理士】特許、実用新案、意匠(デザイン)、商標などの工業所有権に関して、調査・鑑定から特許庁への出願・申請を代行し、「理系の弁護士資格」とも言われています。ちなみに特許庁の審査官または審判官として、通算7年以上の審査ないし審判の事務に従事した人は弁理士になることができます。

国際系資格は人気沸騰中。

【米国公認会計士(CPA)】国際会計基準の導入により、にわかに注目を集めています。筆記試験は財務会計及び公会計、法規、ビジネス環境及び概念、監査及びアテステーションの4科目で、100点満点中75点を取れば合格です。まず受験する州を決め、その州での受験資格を取得し(大体、4年制大学卒及び会計単位条件に加え、大学での総取得単位数が150単位であることが要求されます)、筆記試験を受けることになります。

【米国税理士(EA)】州単位の資格である米国公認会計士と違って、連邦政府から交付される免許なので、州に制約されることなく、業務を営むことができます。受験資格がなく、東京でも受験が可能で、次のような分野で活躍が期待されています。

①日本企業の海外投資及び海外進出に関わる税務業務。

②米国企業の対日投資及び日本進出に伴う、二国間にまたがる税務業務。

③日本在住の米国人の米国への納税申告関連業務。

④米国在住の日本人の米国への納税申告関連業務。

⑤二国間税務コンサルティング業務。

【ファイナンシャル・プランナー(AFP・CFP)】個人のライフプランに応じた資産設計をアドバイスする専門資格。各種のスクールで認定講習を受けた後、試験に合格すればAFP(基礎資格)になることができます。これで日本ファイナンシャル・プランナーズ協会に登録され、これは2年ごとに15単位の継続教育を受けて更新されます。さらに上級資格であるCFP(日本語で受験できる唯一の国際資格です)に合格すれば国際的に通用する立場となり、独立も可能となります。やはり2年ごとに30単位の継続教育を受け、資格更新となります。

【MBA(経営管理学修士)】ビジネスリーダーに必要な学際的スキルを身につけるもので、特にハーバード・ビジネススクールは「資本主義のウェストポイント」と呼ばれ、世界から最優秀の人材を集めて教育し、各界に送り出しています。総体的評価としてアメリカの経営大学院(ビジネススクール)トップ20の優位は揺ぎなく(アメリカの大学は玉石混交ですが、大学院は世界最高水準のレベルを誇っていると言っても過言ではないでしょう)、これらのいずれかを卒業できれば、まず将来は約束されたようなものです。

情報系ならマイクロソフト認定資格。

【MOS(マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト)】マイクロソフト オフィス スペシャリスト(MOS)は、マイクロソフト社が主催する、Excel・Word・PowerPointなどのMicrosoft Office製品の知識・操作スキルを客観的に評価・証明する資格試験です。試験は実際にパソコンを操作する実技形式で行われるため、MOSを取得することは実践的なパソコンスキルを有することの証明となり、就職・転職時のアピールとしても活用できます。

【ITパスポート試験】ITを活用する全ての社会人・学生が備えておくべき基礎的な知識が証明できる国家試験です。ITを正しく理解し、効果的に活用できる「IT力」が身につくため、情報技術に携わる業務に就きたい人や、情報技術を活用したい方におススメの資格です。

【基本情報技術者試験】IT業界への入門として人気の国家資格で、ITに関する基礎知識からプログラミングに関する内容まで幅広い知識が問われます。試験勉強を通して全般的なIT力の向上が望めるので、IT関連の仕事を目指す方なら取得しておきたい資格の1つです。

教員免許も取りましょう。

【教員免許】教員免許だけなら、大学で教職単位を揃え、教育実習に行けば自動的に取得できます。卒業後に改めて取ろうとすると、けっこう手間ひまかかるので、取れる時に取っておきましょう。教育実習の貴重な体験となるものです。実際になるには各都道府県で教員採用試験を受験しなければならず、これは専門予備校で準備しなければ難しいのが現状です。

【司書】公立図書館等で図書資料の選択・購入、図書案内や指導などを行います。教員免許同様、単位を揃えれば取得できますが、大学・学部の設定によるので、確認が必要です。また、最近では学校図書館司書教諭(学校図書館の専門的職務を行う)のニーズも高まってきました。

【学芸員】博物館・美術館等で資料の収集、保管、調査研究などを行います。単位取得によって資格が発生しますが、実務経験からの道もあります。

普通自動車免許は絶対必要です。

【普通自動車免許】取得すれば4トントラックまで運転できます。つまり、少々の引越しなら、自分でレンタカーを借りてでもできるということです。卒業までに必ず取得しておきましょう。自動車学校は厳しいという評判の所を選んだ方が無難です。学科を落とすのはいただけませんが、実地を落とすのは止むを得ません。大体、事故の大半は免許取得後1年以内に起こるので、順調に免許を取った人は、「こんなものか、簡単、簡単」と思いがちで、「初めての事故が大事故」になりかねません。

【国際免許】日本の自動車免許は優秀なので、お金を払えば国際免許に切り替えられます。ただし、期間が限られていること、例えばアメリカであればアメリカの自動車免許取得者が同乗している必要があるなど、いろいろと制限もあるので、結果的には現地で取得する方が早いと言えます。



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第17章 大学以外の「場」も必要です。

One of these days is none of these days. (そのうち、そのうちと言っていることはいつまでもできない。)

 大学は主戦場にして居場所ですが、それ以外にもインターカレッジのサークル、バイト、ボランティア、ダブル・スクールなどを通じて、大学以外の「場」を持つことは大切です。大学は大体似たような人達が集まるものなので、居心地がいい反面、刺激を失って停滞していく危険性も持っています。「大学は出たけれど」と言っている人、言われている人は、大学の生かし方のみならず、+αの要素が余りにも乏しかったと言わざるを得ないでしょう。そこで、ここでは大学以外の「場」として、これまで見た以外のものとして、国際交流、文筆活動、勉強会・研究会を取り上げてみましょう。

 まず、国際交流ですが、伝統的に日本における国際交流の主流は欧米圏との交流にあります。ところが、国際交流の基本は隣国関係であり、ここで信頼関係を築けずして真の国際交流とは言い難いところです。しかし、同時に国境を接する隣国関係ほど難しいものはなく、歴史的怨恨や利害関係が入り組み、国際紛争を解決する重要手段として「隣国付加侵条約」が真剣に考察されるほどです。これは海の存在を考慮に入れると、考えられないほどの効力を発揮します。したがって、日本の場合、まず韓国、次いで中国との交流が決定的に重要でしょう。今でこそ、若者の間では意識も変わりつつあり、スポーツ交流も盛んですが、80年代には教科書問題をきっかけに反日感情が再燃しており、ほとんどの交流プロジェクトは失敗したと言われています。機会があれば、積極的に隣国との国際交流、アジアとの国際交流に関与すべきでしょう。欧米圏(特に重要なのはアメリカです)との交流は、政治・経済・文化上の理由や安全保障上の意義がありますが、隣国関係・近隣関係をないがしろにして優先すべきではありません。例えば、韓国では徴兵制があり、若干の例外を除いて青年男子は皆兵役につかなければならないため、政治・経済・国防・安全保障などの分野において、日本の若者と決定的な意識の差がありますが、その一方でせっかく大学で学んだ知識も台無しになったり、交友関係に変化を強いられるなど、特有の悩みもつきません。韓国の片田舎で冷麺を食べていると、窓の外を戦車がガタゴトと走っていた、などという光景は日本では考えられないことでしょう。

 次に文筆活動ですが、これはわざわざ文芸部や新聞部に入った方がいいということではなく、無償であっても文章を書く、書かせてもらう経験や場を持った方がいいということです。それはタウン紙の記事でも一般紙への投書でもよく、サークルの会報でも、学部の出版物でも何でもいいわけです。これは誰でもできることではない分、貴重な経験となるものです。インプットにとどまらず、アウトプットの場を確保すること、できればそれでお金がもらえればいうことありません。一番、手軽なものは同人誌の作成で、クラスの有志を募って、役割分担をし、発行したら必ず喫茶店で品評会・輪読会をするのも楽しいものです。友人達には当然、売りつけますが、もうけは2の次でしょう。

 最後に勉強会・研究会です。大学の授業がおもしろくないので、有志で勝手にテーマを決め、勉強会・研究会を開くといったことは、向学心の旺盛な人達はよくやるところです。別に自分が主宰しなくても、そういう企画はあちこちにありますから、おもしろそうなものがあれば首を突っ込めばいいわけです。思わぬ掘り出し物にぶつかることもあります。例えば、有名な京都学派の祖・西田幾多郎の弟子に当たる西谷啓治がある学際的な研究会に参加した時のこと、京都の多くの大学から教授・助教授が集まり、そうそうたる顔ぶれになりました。西田の流れにはヘーゲル哲学・禅・神秘主義・キリスト教の4つがあり、キリスト教を除いてそれぞれの流れが生きています。西谷は神秘主義の流れを汲むもので、そのまた弟子にドイツ神秘主義の大家にして、マイスター・エックハルト研究の第一人者である上田閑照がいます西谷のスピーチが終わった後、質疑応答の時間となりましたが、参加者の教授達の中には「実は私は卒論の口頭試問は西谷先生でした。『ところで君はどう思う?』と言われてさんざんしぼられました」と言う人もあり、それをじっと聞いていた西谷は「そうか、ところで君は今日の話を聞いてどう思う?」と問い返し、その場は途端に口頭試問の場と化したのです。こうなると1学部生の入る余地はありません。もともと京都学派の学風は「権威をうのみにせず、自分の足で歩き、自分の目で見、自分の頭で考える」という所に真骨頂があるので、これは当然と言えば当然ですが、こうした空気に触れるだけでも書物では得られない体験となるものです。



【ポイント】

自宅と大学の往復だけは避けましょう。

 小学校・中学校・高校と大学は決定的に違います。自宅と大学の往復、あるいは自宅と大学とバイト先の三角移動のみというのは余りにも寂しすぎます。社会に出れば嫌でも多くの制約を受けるのですから、この時期ぐらいは多角的なライフスタイルを組みましょう。「自分は器用じゃないから、1度に多くのことはできない」という人も、意識を広げることだけはできます。意識を広げると、不思議なもので縁が広がり、出会いが出てくるのです。意識しないところにチャンスやきっかけは来ませんが、意識を持っているとちゃんと巡り巡ってくるものなのです。そうして少しずつ手を広げていけばいいわけです。

大学は社会に出るステップです。

  家庭と社会をつなぐ緩衝地帯が学校であるとすると、大学はそれまでの学校生活と社会生活をつなぐ重要なステップ、最終段階であると言えます。ここでそこそこのことしかしなかった人が、社会に出てから大々的な活躍ができるでしょうか?失敗を恐れず、むしろ失敗を歓迎して、大学を超えた挑戦をすべき時でしょう。そして、こうした経験・体験は社会に出てから実に生きてくるのです。ムダのように見えても決してムダではないのです。



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第18章 「自立」の準備をしましょう。

There is a tide in the affairs of men. (人間のすることには潮時というものがある。)

Time and tide wait for no man. (歳月、人を待たず。)

「恒産なければ因りて恒心なし(定まった財産や生業が無ければ、定まった正しい心も無い)。」(孟子)

「第一条 独立の気力なき者は国を思ふこと深切ならず。

第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は外に在て外国人に接するときも亦独立の権義を伸ること能はず。

第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事を為すことあり。」(福沢諭吉『学問のすゝめ』)

 在学中は親の援助を受けている人がほとんどですが、この期間に「自立」の準備をしなければなりません。「自立」には、精神的自立、経済的自立、社会的自立の3段階がありますが、最低でも第1段階、できれば第2段階に部分的には入っておきたいところです。「自立」の反対は「依存」であり、これは多くの面で人の成長を妨げます。自立・独立のないところに結婚はなく、また家庭なくして社会的貢献も難しいところです。

ここではユダヤ人の教育における「自立」についてみてみましょう(手島佑郎著『ユダヤ人はなぜ優秀か その特性とユダヤ教』より)。

 ルリエ氏は今ではエルサレムに大邸宅を構えている富豪だ。彼が十六歳になった時、父親は彼をロンドン留学に出した。出発に際して、父親は息子に百ポンドを留学費用として渡しながら、こう言った。「いいかね、これが君の留学を賄う全費用だ。ただし、留学中にこの百ポンドを使ってしまわないことだ。四年後に君が帰ってくる時には、そっくり百ポンド返してくれ」

 ルリエ少年はどうしたであろうか。彼はロンドンに着いて、しばらくあれこれと名案を考えた。やがて彼はその金の一部を投資して株に手を出した。四年後にロンドン大学経済学部を卒業する時には、彼はもう株式市場の専門家になっていた。

 日本はまれに見る母性社会なので、なかなかこのような教育はできるものでもありませんが、自分自身がこうした自立志向・独立志向の意識を持つことは大変重要です。



【ポイント】

精神的自立が「自立」の第一歩。

 親から受けた恩は一生かかっても返すことができません。「親への恩返しは子にするもの」と割り切って考えるべきでしょう。親から受けた以上に子に与え、それをもって恩返しとするものです。それをふまえた上で、「親の願いは子供が幸せになること」という事実をはっきりと認識しておきましょう。例えば、自分の夢・理想が親の願いと食い違うことが往々にしてありますが、安易に親の言う通りにして、結果として自分が不幸になった場合、親を責めるのは酷というものです。なぜなら、親は子供のためによかれと思ってアドバイスし、反対したに違いないからです。したがって、子供の立場からすれば、自分が一番納得のいく、自分がこれで幸せになれると思う道を行くべきです。一時的に親の理解が得られず、葛藤が生じるとしても、「最終的に自分が幸せになって喜んでいる姿を見れば、親も必ず喜んでくれる」と信じるべきなのです。子が不幸になって苦しむことを願う親はいないのであって、子は真剣に自分が幸福になれる道を追及すべきです。それが結果として親の幸福にもつながるのであり、まかりまちがっても責任転嫁をしてはならないのです。子供の幸せを願う親の心を信じて、自分の信念を貫きましょう。これが精神的自立の第一歩です。

「親思ふこころにまさる親ごころ けふの音づれ何ときくらん」(吉田松陰「永訣の歌」)

経済的自立が「自立」の基本。

  親からの援助を脱することが「自立」の最眼目の1つです。なぜなら、やがて結婚して家庭を持つようになれば、法的にも親から独立した世帯となり、それ自体の生計の維持が要請されるからです。といっても、在学中に出してくれるという援助を敢えて押し留め、自立に向けて無理をする必要はありません。そうすることによって得られなくなるものも多いとすれば、援助は受けた方が賢明です。要はバイトやビジネス・キャリアの開始をもって、経済的自立に向けてスタートを切ると考えたらよいでしょう。

社会的自立は「自立」から「社会貢献」への道。

  社会的自立は家庭を土台とします。もちろん、個人として大いに社会貢献をする人もあり、絶対とは言えませんが、個人としての意識と家庭人としても意識は自ずと違う所があり、普通の家庭人は偉大な個人に匹敵すると言えるかもしれません。社会で必要とされる存在になること、それは個人の自立抜きには考えられませんし、社会は家庭の延長であることから、家庭の基盤が無いよりはあった方がよいでしょう。経験や見聞の及ばないことはなかなか自分の問題となりにくいものです。



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第19章 「投資」「起業」の勉強もしてみるものです。

Do not put all your eggs in one basket.(卵を全部1つのカゴに入れるな。宝は分散せよ。)

Better be the head of a dog than the tail of a lion.(ライオンの尻尾となるより、犬の頭になる方がよい。「鶏口となるも、牛後となるなかれ。」)

 世の中、お金が全てではありませんが、お金があれば相当数の問題が片付くのは事実です。お金はあるに越したことなく、「資産形成」と「資産運用」の技術は誰もが取り組むべきテーマであると言えるでしょう。実際にお金持ちになろうとすれば、最終的にはサラリーマンのままで目標を達成することは不可能です(目標にもよりますが)。といってコミュニケーション・ビジネスなどをサイドビジネスでやればいいかというと、これはこれに専念しない限り(あるいは専念する人材を立てない限り)、一定レベル以上の展開は不可能です。ましてや独立して会社を興すとなると、経営能力その他の資質が不可欠となってきます。もっとも会社を作ること自体は簡単です。会社法が改正されて1円起業も可能になりましたし、個人事業ならもっと簡単です。アメリカにペーパー・カンパニーを低コストで立ち上げ、その日本支社を作るという裏ワザもあります。したがって、誰でもどの立場からでも開始できる資産形成法の1つとして、投資技術・金融技術が浮上してきます。元々、1番簡単なものは貯金で、かつてはこれが主流でもありましたが、今の日本ではほとんど無意味です。これは意識ある人であれば、10代、20代のうちに着手する値打ちがあると言えるでしょう。

 例えば、弱冠17歳にして利回り34%の株式投資実績を上げ、ウォール・ストリート紙が絶賛した高校生投資家がいます。その名はマット・セト。15歳の時に2万3,000ドルを元手に「マット・セト・ファンド」を開設し、以来、30%以上のリターンを毎年確保しているというから驚きです。参考までにマット・セトの挙げる投資法則を列挙してみましょう(『天才少年投資家マット・セト 108の法則』より)。

法則1: 勉強抜きで株を買ってはいけない。

法則2: 自分自身の詳細な投資目論見書を作る。

法則3 : 投資金額の多少に関係なくベストの利潤を追求する。

法則4: 成功する投資は健全なアプローチとなる。

法則5: 自己啓発・自分で考える・論理的に。

法則6: 業績のいい会社の株は上がる。

法則7 : 「その会社の製品が気に入れば、その会社の株もまた気に入る。」

法則8: 投資理論は数学方程式ではない。

法則9: 儲かっていない会社には誰も投資しない。

法則10 : 勝つために必要なことを確実に実行する。

法則11: 他人の意見に惑わされないこと。

法則12: 小さな発見が成功をもたらす。

法則13 : 人の意志決定のプロセスこそヒントになる。

法則14: 暴落はまたとない買いチャンス。

法則15: 長期保有が財をもたらす。

法則16: 忍耐は美徳なり。

法則17: 株価の上昇は歴史的傾向である。

法則18: 株選びに「完璧な手法」はない。

法則19 : テクニカル分析は長期保有には効果的ではない。

法則20 : 「発展途上の初期段階」や「破産状態」の会社の株はタブー。

法則21 : 株をギャンブルと考えるなら、結果もギャンブルと同様になる。

法則22 : 合理的とはいえない執着は失敗の始まり。

法則23 : いい会社の株は投資対象株としてもいい。

法則24 : 消費者の目で会社の良し悪しを判断する。

法則25 : 苦労して競争に勝ち残った会社がベスト。

法則26 : 毎日の暮らしの中に成功のヒントがある。

法則27 : 消費者を満足させる方法を知っている会社かどうかがポイント。

法則28 : 流行に乗って業績を伸ばしているだけの会社は要注意。

法則29 : 永続的な需要のあるモノを持つ会社は良い会社。

法則30: いい株を選ぶ方法は1つではない。

法則31 : 「一番いい方法」より、もっと「いい方法」はないか。

法則32: 基礎的な情報収集に金を掛けない。

法則33: 必ず競合する会社のことも調べる。

法則34 : 消費者はどの情報を基準にモノを買っているか。

法則35: 有価証券報告書は参考にしづらい。

法則36 : 財務諸表のチェックで経営者の質を見極める。

法則37 : 電卓は必需品。いつでもどこでも肌身はなさず。

法則38: 情報は多ければ多いほどいい。

法則39 : 簡単明瞭で優れた格言「安く買って、高く売る」。

法則40: 数学を把握していれば自信が生まれる。

法則41: 株選びに必要なのは簡単な算術。

法則42: 在庫レベルの変化に注目する。

法則43 : キャッシュ・フローを生み出し、蓄えている会社。

法則44: 1株当たりの現金が多いほど株は魅力的。

法則45: チェック、1株当たりの純資産額。

法則46: 技術革新型企業の資産=創造力。

法則47: PER(株価収益倍率)はもっとも理解し易い数字。

法則48: PER予測数字は当てにならない。

法則49: 金利レベルが相場の大まかな枠組みを決める。

法則50: 成長率の高い会社で問題のない会社を探す。

法則51: 「信用売り残が多い」株は買い検討に価する。

法則52: 配当回りでは株を買わない。

法則53 : 株を買わない理由を徹底的に探してみる。

法則54: ROE(自己資本利益率)は10%から15%ほしい。

法則55: PERに明確な判断基準を設定する。

法則56 : 自分は成長株投資派か、割安株投資派か。

法則57 : トップ・ダウン法よりボトム・アップ法がいい。

法則58 : 長期間にわたり、市場予測に成功した人はいない。

法則59 : 市場に駆けめぐる噂や迷信の類には耳を貸さない。

法則60: 「他人の予想は聞き流しなさい。」

法則61: 自分の直感を大切にする。

法則62 : 資金別で証券会社=ブローカーを選ぶこと。

法則63: 投資助言は世の中に溢れている。

法則64 : マスコミ情報のうのみは負け相場への一本道。

法則65: 自分の頭脳を使って株を買う。

法則66: 感情が理性より先走ってはいけない。

法則67 : 「自信」こそが成功する投資態度の一部。

法則68: 小口投資家は「カモ」にされ易い。

法則69 : 個人投資家はベストの価格で新規公開株を買えない。

法則70 : 要注意。小口投資家は貧乏くじを引かされる。

法則71 : 新規上場株を買えないのはかえって幸せなこと。

法則72 : 「買いの決断」に比べ、「売りの決断」は単純明快。

法則73: 25%から30%上がるまで売らない。

法則74 : 単なる株価の下落を売却の理由にしてはならない。

法則75: 自分の判断を信じる「自制心」。

法則76 : 優良会社の株は急激かつ一時的にブレる時がある。

法則77: 分散投資はアテにならない。

法則78: 分散投資のすすめはプロの言い訳。

法則79 : 最高の銘柄を買いなさい。その他のものは忘れなさい。

法則80: アセット・アロケーションは「株式50」「債券50」がベター。

法則81: 長期投資なら株に絞る。

法則82 : 小口投資にはドル・コスト平均法がベター。

法則83: 顧客サービスのいい会社は成長する。

法則84 : 社員についての会社の方針を参考にする。

法則85: 個別企業の強みと弱みを徹底研究する。

法則86 : 株価と簿価の比較で当たり株を発見する。

法則87: 少し遅めの買い出動でも儲けられる。

法則88 : 長期的視点で考えるなら短期的株価変動は無視する。

法則89 : 「上がるものはいずれ下がる。下がるものはいずれ上がる。」

法則90: 消費者が最終的に何を好むか。

法則91 : 株は「教育的」で「スリリング」、そして「高利益」をもたらす。

法則92 : 「長期間投資」「分散投資拒否」が合言葉。

法則93 : 自分の利益につながる利害を持つ投資信託を探す。

法則94 : 自分が求めているファンドのタイプは何なのかを明確に。

法則95 : 「バックミラーで将来を見ることはできない。」

法則96 : ファンド・マネージャーの良し悪しを見極める。

法則97: 自分の目的をハッキリさせる。

法則98 : ファンドのリスク分析には目を通すこと。

法則99 : 「投資価値をどこに求めるか」で投資手法を選択。

法則100: 投資手法の併用はリスクが多い。

法則101 : 「直感を数字で補う」「数字を直感で補う」

法則102: 株価は景気に対し先行する。

法則103 : 株価は投資家心理に左右されがちなもの。

法則104: 儲け話には危険がつきもの。

法則105: 確率の高い儲けを選びなさい。

法則106 : 上昇への兆しを見抜く目がありますか。

法則107 : 「クレヨンで描けないアイディアに投資するな。」

法則108 : 成功する秘訣は「自分自身で考えること」。

 さらに著名かつ重要な経済学者の中で、投資に成功した人物として、リカードとケインズが挙げられますが、そのうちケインズが20年近くに及ぶ、様々な失敗を含む経験をふまえて、「成功する投資」のための「3原則」として「覚書」にまとめたものが次の3点です。これはケンブリッジ大学の正会計官としてカレッジの資産委員会に提出した、「投資政策の総括」と題されたものです(『実務家ケインズ ケインズ経済学形成の背景』より)。

(1)ごく少数の投資を慎重に選択すること。この場合、現在の価格水準を、過去数年にわたる実際のあるいは潜在的な価格推移との関連、並びに現時点での他の代替的な投資対象との関連で、充分考慮すること。

(2)選ばれた少数の銘柄を、かなりまとまった金額単位で、価格の消長にかかわらず、成否の結果が明らかになるまで―多分数年間にわたるであろう―しっかりと持ちつづけること。

(3)バランスのとれた投資ポジションをもつこと。すなわち、個別銘柄の金額は大きくても、リスクの分散を図ること。できれば、反対方向に動くようなリスクでカバーすること。(たとえば、金鉱株を他業種の株の中に入れておけば、一般的な相場変動の場合、両者は反対方面に動く傾向があるといった具合に。)



【ポイント】

知能派は「投資」、行動派は「起業」に取り組んでみましょう。

 「投資」は学ばなければならないことが多く(学ばずにやればバクチになります)、一種知的ゲームのような様相もあるため、「知能派」向きかもしれません。自分で事業を興し、会社を経営してみたいという「行動派」は学生時代から「起業」をテーマとすべきです。いずれにせよ、会計、簿記、投資、経営など全般的なファイナンシャル・インテリジェンスを高める努力が必要です。

経済的ニーズが満たされれば、敢えて会社に入る理由は無いのです。

 はっきり言って会社に入るのは「経済的理由」があるからです。昔のような「モーレツ型会社人間」が絶滅しているに等しい現代にあっては、「会社が生きがい」という人は少ないでしょう。会社は生計を得る手段と割り切って、生きがいは他に求めるケースが圧倒的です。もちろん、会社の仕事にやりがいや意義が感じられないと、続けることができないのは言うまでもありません。したがって、経済的ニーズが満たされれば、誰も好き好んで時間・空間を制約される会社に入る理由が無くなってくるのです。もちろん、会社で「仕事の基本」を学ぶというメリットは否定できません。これに気づけば、「投資」「起業」を学ぶ意義も見えてきます。

 ちなみにアメリカではすでに顕著ですが、いざお金持ちになった場合、あくせく働かなくてもよくなった場合、何をするかというと、多くの人がボランティアに取り組むというのです。自分の生活の心配が無くなると、今度は「社会に役に立つことがしたい」「誰かの役に立ちたい」という、より高次の社会的欲望が出てくるわけです。これは人間の本心でもあるのでしょう。



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第20章 理想主義+現実主義

Busiest men find the most time. (最も忙しい人が一番時間がある。)

It's a long lane that has no turning. (曲がり角の無い道は無い。)

「訣別、なんぞ多情。村塾まさに隆起すべし。」(吉田松陰)

 社会に出れば嫌でも地に足がついた考えや行動が要求されます。したがって、大学時代ぐらい理想や志を大きく羽ばたかせたいところです。もちろん、そうはいって青臭い理想を掲げる、無責任で過激な学生運動に走っても意味がありませんから、現実的なセンスも同時に磨いておくべきです。この両者が共に豊かで、なおかつバランスが取れている人が人間的魅力にあふれているのです。

 ここでどうしても知らなければならないのが、マズローの人間性心理学の内容です。マズローはフロイトに始まる精神分析学・深層心理学、ワトソンとスキナーに始まる行動主義心理学に対して、人間性心理学を「第3の心理学」と名づけました。さらに「第4の心理学」と位置付けられるトランスパーソナル心理学の実質的始まりとなっていることにも注目しておきましょう。神経症・精神病患者の治療を土台にして発達し、異常から正常へ戻すことを主眼とする精神分析学・深層心理学(つまり、マイナス→0を目指す心理学)でもなく、本能的動物の延長上に人間をとらえる行動主義心理学でもなく、健全な人間の個的成長と「自己実現」にスポットを当てたのです(つまり、0→100を目指す心理学)。この中核理論が「欲求の階層構造論」であり、これはその現実的妥当性とあいまって、強い衝撃を社会に与えました。

(1)生理的欲求=最も基本的で低次の欲求。これが満たされれば、次の「安定・安全への欲求」が出てくる。

(2)安定・安全への欲求=これが満たされれば、次の「愛と所属の欲求」が出てくる。

(3)愛と所属の欲求=特に親に愛されること、家族に属していて、自分の居場所があることへの欲求。これが満たされれば、次の「承認の欲求」が出てくる。

(4)承認の欲求=自分に自信を持ちたい、人からも認められたいという欲求。これが満たされれば、次の「自己実現欲求」が出てくる。

(5)自己実現の欲求=他の人間とは取り替えのきかない、自分独自の可能性を精一杯伸ばしていきたいという欲求。「詩人は詩を作らなければならないし、音楽家は音楽を奏でなければならない。」

 こうした個々の段階の必要性を下から満たしていき、自分自身の内側にある可能性を十分に開発してこそ、本来の自分が開花するという考え方をマズローは打ち出したのです。そして、成長段階において、これらの基本的な欲求が満たされないままでいると、健全な成長が阻害される要因になると指摘しました。さらにマズローは座禅や瞑想などの宗教体験に見られるような「至高体験」に注目し、「自己実現欲求」が満たされた後には「自己超越欲求」が芽生えることに気づき、トランスパーソナル(超個的)心理学への道を開いたのです。キェルケゴールの「実存の3段階」で言えば、生理的欲求から承認の欲求までは「美的実存」の段階、自己実現欲求は「倫理的実存」の段階、自己超越欲求は「宗教的実存」の段階と言えるかもしれません。このトランスパーソナル心理学の流れの中に、最近注目を浴びているエニアグラムのタイプ論があります。性格類型論としてはクレッチマーやユングが有名ですが、エニアグラムの洞察はそれらをはるかにしのぎます。イスラーム教神秘主義(スーフィズム)の修行体験の中で、個々の人のタイプに応じた指導の必要性が実感され、それがエニアグラムの淵源となっていくのですが、ボリビアのオスカー・イチャーゾによってアメリカに伝えられるや、イエズス会の心理学的伝統や現代心理学によって洗練・再編成され、人間理解・洞察のための有力なツールとなっています。これによって、従来、難関とされた中期大乗仏教・唯識思想(これまた人間理解の驚くべき含蓄があります)の理解が分かり易くなってきました。日本でも学会が出来たので、多少でもかじっておくと有益でしょう。



【ポイント】

「志」を持たない人は成長も止まります。

「志」は人を成長させ、ひいては国家・社会を揺り動かし、歴史を変えることすらある のです。幕末の志士達に多大な影響を与えた長州の勤王僧・月性(げっしょう)の有名な詩を見てみましょう(第2句は村松文三が改作)。

男子立志出郷関 男子志を立てて郷関を出ず

学若不成死不還 学若(も)し成らずんば死すとも還(かえ)らず

埋骨何期墳墓地 骨を埋めるに何ぞ期せん、墳墓の地

人間到処有青山 人間(じんかん)到るところ青山有り

あらゆる成功法に共通するのは「潜在意識の活用」。

どんな成功法でも「潜在意識の活用」を説いており、全ては「意識」することから始まるとしています。ここで重要なのはポジティブ・シンキングであり、プラス志向です。これは具体的には「マイナス言葉を使わずプラス言葉を使う」「どんな状況でもプラス要因を見出す」ということになります。例えば、「自分はつらくない」「自分は負けない」という否定語を繰り返すと、「つらい」「負ける」というマイナス・イメージが先に入り、それに立ち向かうという悲壮感が植え付けられてしまいます。そうではなくて、「自分は楽しい」「自分は勝つ」というプラス・イメージを植え付けるべきなのです。これは「瞑想(メディテーション)の基本」でもあります。また、どんな逆境の中でもそれをプラスに転じて捉えることができるかどうか、「発想の転換」ができるかどうかは、心の成長の大きな分かれ目です。これを身につけておかないと常に打撃を受け続け、不幸を数えて生きていくことになりかねません。

逆境の対処の仕方が人物評価の決め手

  人の値打ちは成功という結果ではなく、むしろ逆境の只中で決まります。誰でもお金も人間関係も仕事も充実していれば、落ち込むこともなければ、何でもできるでしょう。こうした状況下ではどんな人でもできて当然なのです。ところが、逆にお金も無い、人間関係も行き詰まった、仕事でも壁にぶつかった、というような逆境の中では、どんなに優秀な人でも落ち込んでしまいがちです。ところがここで人の真価が分かれてくるのです。そのため、財界の成功者の中には「大成するには浪人すること、大病をすること、くさいメシを食うこと、この3つが必要だ」とまで言い切った人すらいます。ビジネスの世界では左遷を通過した人を重く見ることがありますが、これも同様の理由です。したがって、逆境の只中で「今こそ自分の真価を見せる時だ。どんなことがあってもここから這い上がって見せるぞ」と思うことができれば、実は半分以上、解決したも同然なのです。

マネジメント能力が現実的成功を分ける。

 理想は現実化されなければ「絵に描いたもち」で、意味がありません。そして、現実的な成功のために欠かせないのがマネジメント能力です。これは何も会社経営の能力に限らないことであって、セルフ・マネジメント、タイム・マネジメントなど全てに通じることです。よく近代資本主義研究で取り上げられるロビンソン・クルーソーは、まさしくこのマネジメント能力によって無人島で生き延びたばかりか、ロビンソン王国を経営・発展させたわけです。これはどの分野の人でも訓練されなければなりません(よく「芸術家にもマネジメント能力が必要である」と言われます)。



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